『カイジ』を三回見ました。

もう、とっくに映画館では終わってしまった『カイジ』。
結局三回見た。
そんなに見る予定はなかったのだけど、何だか、しばらくすると「もう一度」と思う映画だったから。
おまけに、仕事場からいい位置にある映画館が、仕事が終わった後のいい時間にやってくれたりするものだから、『カメレオン」の時のような後悔はしないで済んだ。

 

で、遅ればせながらの感想を書こうと思ったのは、年も越して、派遣村の話題もいろいろ聞いて、柄にもなく経済のことなど、いろいろ勉強もして、思うところがいろいろあったからだ。
経済的な格差は、どんどん広がる一方みたいだし、若い人は昔よりずっと辛い立場に立たされているようだし、先は見えないし。
この映画、「それは払わなくていいお金だよ!」とか、「そこでなぜ相手の言うことを聞く!」とか、いろいろ突っ込みをいれたくなる場面が多かったけれど、未熟な人ほど辛い目にあう世の中というのは、ここまで極端ではないにしろ、リアルなんだと思う。
うちの娘も、結局、散々の努力をしたにも関わらず、就職できなかったから。
私がこれからも娘を守らなきゃいけないんだけど、考えるとしんどい。
ほんと、身につまされて笑えない。

 

ところで、カイジは、友達の借金を背負わされて、ギャンブルクルーズに加わるはめになったけれど、実際、多額の借金を作って払えなくなる人の多くは、ギャンブルが原因だと聞いた。
私は、物事を悲観的に考えるたちなので、ギャンブルは体質的に駄目だ。
ましてや、ギャンブルのために借金など、ありえない。
だから、カイジ以外のクルーズの人たちが、たぶん理解できない。
だから私は、元夫も、今の夫も、どこか理解できなかったのだと思う。
それはさておき、利根川が、『世間はお前たちのお母さんじゃない』の有名なスピーチをするときに、聞いている人々に対して、カイジが「こいつら、何を感動しているんだ?」と心に思うところで、カイジが一人だけ「違う人」なんだな、と思った。
東京大空襲を逃げ延びて、長じて著名な建築家になったある先生が、自分の母親が関東大震災にあって、不思議な心の声「狭い道へ、狭い道へ」に導かれて逃げ延びた教訓が、自分を救ってくれた、と話していた。
大きな火は、酸素を求めて走るので、大通りは火の道になって非常に危険なのだけど、その女性にはそんな科学的な知識はなかったはずだ。
ただ、直観で、他の人が大きな道に走るのにも取り込まれず、狭い道を走って逃げて、結局助かったのだった。
大勢に取り込まれてしまうことが、破滅につながることは、こういうパニック状態の時にはよくある。
でも、取り込まれない人間が必ずいくらかいる。
だけど、追随行動は、人間の生物としての本能なのに、なぜこういう時に断ち切ることができるのか。
カイジは、生まれもった性質によってか、どうもそれができる人のようだ。
追い込まれると、体の中で何かが発動する人、として描かれている。
こういう、「一見普通の若者のように見えて、実は何か途方もない一面を持った人」というのを演じさせると、本当に藤原さんはリアリティ満点なので、楽しかった。

 

#本当にお疲れ様でした。

 

あと、どんなに追い込まれても、絶対に人を裏切らない、というのが、本当に面白い。
ギャンブルといえば、ゲーム理論の中でも有名な「囚人のジレンマ」が、そのまま物語に組み込まれているところが、この映画の大きな魅力だと思う。
限定ジャンケンも、Eカードもそうだ。
確か、ゲーム理論では、人を信じた方が有利、なのだっけ? 忘れた。
だから、ギャンブラーとしてずば抜けた才能があるカイジが、人を裏切れない性質を持っているところが、とても面白かった。
悪い人、人を利用できる人、サイコパスが、この世の勝ち組になる、と、何となく信じられてきたけれど、もしかして、違うのかも知れない。
基本善人だけど、戦略家、というタイプの人が勝つんだという気も最近するから。

 

さて、次に印象的だったシーン。
カイジたちが鉄骨渡りをしている時に、セレブな観客たちがその破滅のさまを楽しんで見ているのを、遠藤さんは「悪趣味過ぎる」と吐き捨てていた。
で、ふと思い出したのは、帝政ローマ時代、コロシアムで奴隷たちを殺し合わせたり、ライオンに食わせたりしたのは、市民に対する皇帝の人気取りのためだった、という話。
それを知った時、人が実際に死ぬのを見て楽しむ感性というのが、どう頑張ってもイメージできないので、一体、これは何だろう、と思っていた。
ま、そりゃね。怪談と同じで、実際に起こるのは絶対に嫌で耐えられないものを、虚構として薄めて楽しむ、という心情は理解できる。
非日常の出来事には、新しい物事に柔軟に反応する、という普段忘れかけている健康な感覚を取り戻す作用があるからだ。
恐怖も、残酷さも、虚構で薄めて、楽しむのは悪くない。
でも。それが現実であっても、楽しめてしまう、っていうのは・・・。
それで思うのだけど、テレビに映し出される「現実」が、その「楽しみ」の対象ってことも、ひょっとしてあるんだろうか、と。
気の重いことだ。



なんとなく、いろいろな方向が、映画を見た後で見えてきた気もする。
DVDになったら、また見てみようと思う。
あと、映画の続編も作られるとか。
楽しみなことだ。