映画「カイジ」「パレード」の宣伝、はじまった

六日間の夏休みに入った。

最近、ずっとiPhoneやら「知的生活」テーマでばかり書いていたので、久々にブログテーマにふさわしいものを。

カイジ」や「パレード」の情報がぽつりぽつりと入ってきた。

カイジ」は娯楽作品として、期待している。

一種のパズルの面白さをコミックにしたものだという認識だ。

あえて、コミックの方は読まないで、このパズルを堪能しようという思いでいる。

この作品の中で、10キロ減量したという藤原さん。

以前、「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」で、岡田くんが同じように大変な減量したときに、内心すごく心配していた。

それと同じ心配をしてしまったり。

過激な減量が健康に良いわけはないし、その後の体質や性格にまで影響が残る、という話を聞いていたので、悪いことが起こらなきゃいいけど、と。

人格に影響が出る、といえば、ミネソタの兵士を使っての有名な飢餓実験がある。

一口で言うと、社会性が危なくなるほどに利己心や攻撃心が高まってしまうそうだ。

そして、それは減量を中止しただけでは回復しない。

確かに、ダイエットに成功して、痩せてきれいになったものの、嫌な人になって、友達が離れていって、本人は「嫉妬された」と思い込む、というケースは、何度も見聞きした。

それと同じことになったら大変だ、と、その時に備えて戦略を立てた(いつもこればっか)。

減量したこと自体を評価することは避け、「お話」の中の登場人物としてあくまで評価しようと。

私は、彼を大切に思っているから、早死になんてして欲しくない。そう発信した。

藤原さんは、どうも見ている限り、深く考えずに絞ってしまったりするように見えるけれど、精神面でのケアについては、役作りの中でいろいろ取り入れているようで、これもバランスなのかなあ、と。

「心を静める」と「気の呼吸法」は、藤原さんに薦められた瞬間に、携帯からアマゾンに注文して買った。

藤原さんは、こういう情報をどういう方法で手にいれるのだろう。

ちょっと興味がわく。


さて、更に期待しているのは「パレード」だ。

公式にも、出演者五人と監督が、語らっているのを細切れにした動画がアップされた。

それを見ていて思ったけれど、藤原さんが、この五人の中でお話の中で実年齢でも、最も年長なんだと以前聞いた時に、「実年齢より若く見えるから、大変だろう」なんて思った。

きっと小出さんと同い年に見えてしまうだろう、と。

それが、ちゃんと年相応に老けて(失礼)見えたので、藤原さんの役者力をまた見せ付けられた気持ちになった。

だって、撮影が終わったバースデーの頃の顔は、「中学生の時から変わっていない」とご自分でも言う、いつもの無邪気なものだったから。

役作りでここまで見え方が違ってきてしまうのね。

本当に、カメレオンみたい。

それで思うことがある。

「素」とか、「芝居」とか、「作ってる」とか、人間が演技することにまつわる日本語のニュアンスから察するに、演技とは、「ほんもの」に対するフェイクという、絶対に相容れない別物だという前提がある。

だけど、もしかしたら、その境目というのはもっと曖昧で、ひょっとしたら、浜辺の水際のように、ファジーなものなのかも知れない。

演技することについて、藤原さん以上の達人はなかなかいないと思うので、むしろ「演技できない」ことは藤原さんからその考察が聞かれることはないのかも知れない。

演技することは、人間をどういう風に造りあげるのか。

たとえば、ピアニストは、長生きをする人が多いというのは確率統計上知られていることだそうだ。

音楽をやっていて楽しいことと、自分が叩いたものからひとつのまとまった音楽が作れ上げられる楽器の性質が、老化を食い止める作用があると想像する。

禅や祈りを生活の基盤にしている聖職者も、長命で痴呆などの障害なく大往生する人が、有意で多いのも知られている。

頭頂にある部位が、祈りや禅によって、一時期不活発になって、自分の領域がなくなる感覚を味わうそうだが、それが作用するのではないかという説があるとか。

さて、演技は、人をどう変えるのか。

私の私見で言うと、演技をよくする人は、奇妙な年のとり方をする。

モンスター並に見かけの年をとるのが遅い人がいるのは、仕事柄、精進をしているせいだろう。

毎日計算する仕事をしている人が、モンスター並みに計算力があるのと同様。

だけど、私がいう「奇妙」というのは、たぶんそういうこととは別のことだと思う。

年々、いい顔になっていく人の率が、一般の仕事をしている人よりずっと多いように思う。

駄目な顔になってしまう人もいないことはないけれど、活躍している人は、総じて若い頃より顔がいい。

美女とか、ハンサムとか、そういうのとは違う話だし、主観的なものなので、法則とは言いがたいけれど。

そんな素敵な人たちを見ていると、人間は、自分のあり方を演出することを含めて、もっと戦略的に他者と関わっていくべきなんじゃないか、と思ったりもする。

さてさて、「パレード」の登場人物たちは、演技をしているのだろうか、していないのだろうか。

みんな仮面をかぶっている、というのであれば、怖さはむしろ半減するように思う。

私は、それぞれの隠された「趣味」が、どこから来るものなのか、うっすら理解できるような気がするので、映画が待ち遠しい。

あれをどういう風に「見せる」のか、スタッフ・キャストのお手並み拝見。


ただ、思いつくまま書いてみた。