先日、「選択と自由」というテーマで、人生の岐路に立ったときの「選択」について書きました。
今回は、その続きです。
振り返ってみると、私が「去る側」に回ったとき、相手から言われた言葉には、不思議な共通点がありました。
それは、「年齢」です。
私は34歳で離婚しましたが、28歳頃から元夫に「もう若くないんだから、やめとけやめとけ」と言われるようになりました。私は好奇心が強く、人生にはまだまだやってみたいことがありました。新しいことを始めるたびに、そんな言葉を浴びせられました。
当時は傷つきながらも、「世間的に見れば、私はもう新しいことに挑戦する年齢ではないのだろうか」と、本気で考えてしまったのです。好奇心も挑戦も止めることができませんでしたが、ただ、ずっと不安がつきまとうようになりました。
今なら思います。28歳なんて、人生の序の口ではありませんか。「もう若くない」とは、一体何を見て言っていたのでしょう。
それから年月が経ち、62歳になった私は、派遣元の営業から、
「60歳を過ぎたから、もうあなたの仕事は用意できない」
「この仕事を受けないなら、辞めてもらうしかない」
さらには、
「仕事があるだけありがたいと思いなさい」
と言われました。
しかし、その後の人生は、その言葉が示したものとは違いました。現在の私は、ゼネコンから「戻ってきてほしい技術者」として名前を挙げてもらえた程度には、まだ必要とされています。ベテランの持つノウハウと若手の機動力を組み合わせて仕事を進めていく、という考え方も聞きました。そう考えると、あの営業担当者は、私の「年齢」の何を見て、可能性のマイナス要素だと判断したのだろうと思います。
そして、この「年齢による可能性の制限」という問題を考えると、King & Princeから3人が脱退した経緯も重なって見えてきます。
当時、彼らは、ファンクラブの動画で、海外進出についての年齢的な難しさを口にして、脱退の決意を延べました。還暦過ぎた私の目からは、ついこの間子どもだったような若者が、何を人生諦めたようなことを!でした。そこで邪推したことは、私の時と同じように、彼らに年齢をネタに夢を諦めさせるようなことを吹き込んだ大人がいたのではないかということでした。
もちろん、芸能事務所には経営上の事情があります。海外進出には大きなリスクもあります。しかし、今のNumber_iを見ていると、「では、あの時に『もう年齢的に難しい』と判断した人たちがいたとしたら、彼らの何を見ていたのだろう」という疑問が残ります。
アラウンド30という年齢は、若さだけではなく、それまでに積み上げてきた経験や技術、知名度、表現者としての成熟も持ち合わせています。若さと成熟が同居する、むしろ非常に面白い時期です。結果を知った今だから言えることではありますが、「年齢=可能性の低下」という単純な図式では説明できません。
では、なぜ人は、他者の可能性を制限するときに「年齢」を持ち出すのでしょう。私は、年齢が非常に便利な言葉だからではないかと思います。「あなたには能力がない」と言えば、相手から反論されます。「いや、できます」と実績を示されるかもしれません。
ところが、「もう若くないでしょう」と言えば、年齢そのものは事実です。そこに「普通は」「世間的には」という常識を重ねれば、個人の意見が社会全体の判断であるかのように聞こえてきます。しかも「もう遅い」と言われ続けると、本人まで、「自分にはもう無理なのかもしれない」と思い始めます。
これはかなり強力な制限です。本人を力で止める必要すらありません。本人に、自分で諦めさせればいい。
さらに、他人の成長を喜べない人がいるのも事実です。人によっては、相手が新しいことに挑戦することを「可能性が広がる」と見るのではなく、「予測できなくなる」と感じます。今まで自分の言うことを聞いていた人が、自分で考えて行動するようになる。それは、相手にとっては成長でも、管理する側にとっては統制が難しくなることがあります。
だから、
「今のままでいい」
「そんなことをする必要はない」
「もう年齢的に無理だ」
という言葉が出てくる。そこには、もしかして相手のためを思う気持ちもあるかもしれません。しかし、「失敗してほしくない」と「失敗する自由を奪う」は別のことです。
私は、子どもにも同じことが言えると思っています。
「失敗させたくない」
「恥ずかしい思いをさせたくない」
という気持ちは、愛情から出てくることがあります。けれど、子どもの代わりに選択し続ければ、「失敗しない半生」は作れても、「自分で人生を選ぶ力」は育ちません。
本当に相手を信じるというのは、「絶対に成功するから大丈夫」と言うことではないのでしょう。
むしろ、「あなたが決めていい。失敗するかもしれない。でも、失敗したらその時に一緒に考えよう」と言えることではないでしょうか。
転ばないように、先回りして道を塞ぐのではない。転んだ時には、手を差し出せる場所にいる。それが、本当の意味でのセーフティネットなのだと思います。
そして、年齢についても同じです。
28歳だから。
60歳を過ぎたから。
30歳前後だから。
そんな数字だけで、人間の未来を決めることはできません。年齢は、可能性の期限ではなく、そこまでに積み上げてきたものの量を示す数字でもあります。
未来は誰にも分かりません。だからこそ、「もう遅い」と言われたときに、その言葉を自分の限界だと思い込まないこと。そして、誰かの人生に対して「もう無理」と決めつけないこと。
私は、自分自身が何度も「もう遅い」と言われてきたからこそ、これから人生を選んでいく若い人たちには伝えたいと思っています。失敗しないことより、自分で選ぶことを大切にしてほしい。そして私たち大人は、彼らの代わりに未来を決めるのではなく、「あなたが選んでいい。もし転んだら、その時はここにいる」と言える人でありたいと思うのです。