エッセイ>教えるということ

今、義務教育を拒否している少年YouTuberが話題になっていますね。この子の人生に責任持てないから、あまり無責任なことは言いたくないんですが、社会実験を進んでやっている人、という目で見ています。

言ったら何ですが、私も勉強は好きなのに、目的のハッキリしないルールと教師とボス猿が苦手で、学校は苦痛でした。でも、学校で嫌な目にあうのと親に殴り殺されるのと天秤にかけて、よりマシな学校を選んでいたに過ぎません。学校楽しい、と言う人もいることだし、もうちょっと選択肢があれば救われたかも知れません。ここまでネット時代になったので、ひとつの試みとしてホームスクールは有りなのではないかと思います。

ただ、教える才能がある人が、それを磨いて子供たちを教える、という基本は崩さない方が良いと思っています。

 

先日、人にとって好きで得意な事は、多くの場合本人には自然で当たり前のことなので、それが苦手な人のことが想像しにくい、と書きました。あらゆるジャンルでこの現象が存在し、ここから発するトラブルも多いと思います。

大学の体育は男女混合でしたが、短距離走で「もっと真面目に走ってください」と言われて、カチンと来たことありました。これがわたしの大真面目な全力なんですね、どう見えたとしても。

これが長距離になると事態は一変して、サークルの合宿の朝のランニングで、私について来れる男子がいなかったりしました。「男に負けまい」としてムキになって走ったことにされましたが、いやいやいや。

こんな感じです。それでも、運動だと体格や年齢性別で分かりやすい違いがある分、まだお互いを許容しやすいのですが、問題は頭を使ってすることの方です。

学校の教科をはじめ、知的活動の得手不得手は、お互い相手がエイリアンではないかと疑わせるほど不可解なものです。「宇宙語」という常套句が飛び出すシーンとか。最悪、「難しい言葉で、マウントとってきた」あるいは「無知を装って、かまととぶった」とか誤解されたり? 単純に馬鹿呼ばわりとか?

他者の脳内の知的世界は基本未知です。理解そのものも脳がやってるので、余計ややこしくなります。ところが、こんな難しさを抱えているのにもかかわらず、「教育」は人間社会のキモです。個人にとっても重要ですが、国力の大切な源でもあります。

「はじこい」の春見先生は、かつての受験失敗体験を資源としているところが塾講師として特異な点です。何をするとまずいか身をもって知ってて、それを回避する方法を知っているのは強みですが、匡平くんと出会うまでは屈折していて相手に教えられない泥沼の中にいました。コミックは奥が深くて、牧瀬先生の参戦辺りから受験物としての面白さが加速します。

他者に何かを教えるのは、前述した知性の性質からしていって、相当高度な技術だと思います。「相手が分からないのが、どういう状態なのか」それを把握してはじめて教育はスタートすると思うからです。この真理は、普段あまり意識されていない気がします。電車の時刻がなぜ正確なのか、なぜ宅配が翌日届くのか、システムを意識しないのと同様に。

私は、どうも人に教えるのは得意でないようです。相手の状態を把握するのが苦手で。それだと未学習の他者に教えるのは不可能なんだと、わかって来ました。メタ認知が絶対に必要なんですね。その意味で「教える技術」を学んできたプロの教師は尊重されるべきだと思います。むしろ、教師が教えることに集中できない現行の学校システムの見直しが必要なのではないかと。

ところで、娘がピラティスのインストラクターをはじめて1年以上が過ぎました。なまじ運動のできる子なので、身体の動きの良くない人たちにどう教えるんだろうと思っていました。娘が言うには、動きには色々な要素があって、それぞれの人には得手不得手があるのですが、よくできているところや、前よりも向上したところを、こまめに褒めるのだそうです。すると、向上のスピードがぐんと上がって理想の動きに近づいていくのだとか。「褒めて伸ばす」は真理だったのですね。しかも、他者との比較ではなくて自己比というところがミソなのでしょう。良いことを聞きました。

 

まとまってませんが、今日はここまで。

では

旅の話>アベマンセイさんご紹介

これまでの旅にまつわることをひとつ。

前回書いた通り、2017年の夏に夏季休暇を全部使って、東北の福島と宮城の城巡りをしました。人生初、みちのくひとり旅です。因みに翌年は1道6県の弾丸みちのく城巡りでした。

1泊からいきなりの8泊ひとり旅です。まだお世辞にも旅慣れているとは言えない、服装にも持ち物にも不備が多かった頃です。宿は押さえたものの、自分が途中で「やめた。もう帰る」とちゃぶ台をひっくり返す可能性があるのが心配でした。自分との付き合いも半世紀を超えれば、この辺りは簡単に予測できます。そこでひとつ絶対に投げ出さないで最後までやり通す仕掛けを作りました。最終日に郡山でイベントがあるのを予約したのです。ここをゴールにして突き進もう、と。

そのイベントというのは、娘が花をまとって踊った時にコラボでギター演奏された、アベマンセイさんのワンマンライブです。いわき市在住で、娘は今まで、郡山でのイベントを皮切りにこの方と5回セッションしています。もう、音楽が良いんです、本当に。アラ還にして、生まれて初めて音楽家の方と知り合いになったという貴重な体験でもあります。

いわき駅前に大型ビジョンがあるのですが、私が訪れた時、「かもめの視線」というビデオを放映していました。これは、いわきの海岸をパラグライダーで映した映像にマンセイさんのオリジナルのギター曲を合わせたものです。この曲の数々、沁みます。お勧めです。

そんな訳で旅の最終日、マンセイさんがしばらく休業に入る間際のライブということで、行って来ました。音楽が素晴らしいのはもちろん、プロジェクション•マッピングのパフォーマンスも加わり、美味しいケータリングもあり。この楽しさはちょっと独特です。思い出しちゃった。ああまたゆるフェスにも行きたいな。

というわけで、ご紹介します。ご本人には了解をとってません。怒られたら、その時はその時で(ひどい)。

 

アベマンセイ(Spotify

https://open.spotify.com/artist/5CrhLs4vnWLUVbGRRBbHGz?si=FvLV-Hm4Rhazx6blxMvCLg

 

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こんな感じで、出会った素敵なクリエーターの方たちをご紹介して行けたら、と思います。

 

今日はここまで。

では

旅の話>旅の癒し効果

さて、超絶引きこもりのアラ還おばさんが、いかにして旅女となったか、を解説する意図で始めたヘッダーですが、具体的な旅の話はこの際すべて割愛することにしました。

10日かけての東北•北海道城巡りを2017年と2018年の夏季休暇に2年続けて敢行したのが最大の冒険で、一人で飛行機に乗って沖縄にも行き、宿も予約せずの行き当たりばったり旅もゲームとしてやりました、とだけ留めておきます。たぶん、私が一番言いたかったのは、そこではないからです。旅の効用について、書きたかったのです。

20歳の時、精神科に連れて行かれて診察してもらったことがあります。診断は「典型的な対人恐怖症」ということでした。今もその頃とあまり変わってはいない気がするのですが、人が苦手で引きこもって暮らしても、普通に生きていけるのが都会暮らしのメリットです。子供を介した社交も極力回避して、それも娘が学齢を脱したら無くなるので、後は出来るだけ人と接することのない仕事だけ、と。

でも、この人嫌いが過去のろくでもないトラウマから来ているのは自覚していたし、出かけていかないのは、単に怖いから諦めていただけなのです。それが「死ぬまでこのままだったら、何てつまんないんだろう」と考え出すのがアラ還という年齢です。もう先があまりないのです。しかも、更年期を脱すると急に心身元気になるから障害も減ります。

さて、出かけていくと、嫌なことは確かにありました。どこだとは言いませんが、バス待ちをしていたら、若い女の子にいきなり傘の水を顔にぶっかけられたり、バスの途中から乗ってきた女子中学生たちに「あれ、ジジイとババアしか乗ってないや」と言われたり、宿の受付が死ぬほど無礼だったり、城のスタンプをお願いしたら舌打ちされたり。

でも、素敵な人にはもっとたくさん出会いました。案内所や城内や管理事務所の方達には、本当に良くしていただきました。地元の城に誇りを持ってらっしゃるのが伝わってきて、素敵でした。

松本城では、天守に登るのに尻込みしているところを、「せっかくここまで旅して来たんだから」と励まされ、おかげさまで無事登れました。

駿府城や秋田城では、ボランティアの方に丁寧なガイドをいただき恐縮です。楽しかったです。

それから、街の行きずりの方達に親切にしていただいたこと。

雪の岩村城では、雪かきの街の人が「お気をつけて」と声をかけてくださり、城内では「転びにくい歩き方」をすれ違う方が教えてくださいました。あんなに優しくされたのはいつぶりでしょうか。

北海道では、最寄りの駅まで車でお送りしますよ、と声をかけてくださった、上ノ国の方。断ってしまってごめんなさい。10日に渡る「自力でどこまでやれるかゲーム」の真っ最中だったんです。でも、嬉しかったです。

座喜味城の石段を杖をついてソロソロと降りていた時、駆け上って手を貸して下ろしてくださった観光客の韓国人家族の方達、本当に嬉しかったです。国同士では色々あるけど、私はあなた方の幸せを今日も祈ってます。

混んでいるバスで「ここ、空いてますよ」と声をかけてくれた古宮城の男の子。この年齢の男の子には勇気のいることだったでしょう。

横断歩道手前でよろけた時、「大丈夫ですか?」と駆け寄って来てくれた大多喜城の女の子。声をかけてもらっただけで、心がすっと楽になるのって不思議です。

他にも書き切れないほどありますが、皆さま本当にありがとうございました。忘れません。

 

•••こんな体験を積んでいくうちに、私の内側で確実に何かが変わってきました。いえ、人嫌いは相変わらずなんですが。前にも書きましたが、土地の名前はもうすでに記号ではなく、名前を聞くたび、風景が蘇ると同時にそこで出会った人たちのことを思い出すようになりました。スーパーで野菜を買うたび、産地の県名を見てキュンとするのは、たぶん不治の病だと思います。そして、災害にあったニュースを見ると、すぐに寄付先を探すようになりました。だって、知らない人たちじゃないから。

嫌な人はどこにでもいるのかも知れませんが、いい人も素敵な人も確実にいます。これはもう、私にとっては一般論ではなくなりました。これがどれだけ幸福なことか。私は、旅のおかげで日に日に幸せになったんだと思います。まとめると、これこそが言いたかったことなのです。

 

「ナラティブ•セラピー」というジャンルがあります。過去に縛られて苦しんでいる人に、物語ってもらうことで人生観への昇華に導く、でしたか。詳しくは知りませんが、語ること、書くことがトラウマへの有効な治療手段であるのは身をもって知っています。ですが、旅の効用はそれを超えるのではないかと思い始めています。世界のすべてに見えた家庭も学校も職場も、外に出てみればずいぶん小さな箱の中に過ぎません。それが実感できるのは、旅です。言わば、旅は自分という物語のスケールを広げてくれるのです。

今、こういうご時世だからなかなかできませんが、もしまた自由に旅ができる日が来たら、もっとこの幸福が広がっていくんだと信じて、まだ見ぬ街に出かけていこうと思っています。

 

今日はここまで。

では

 

エッセイ>自分と人とは違うこと

先日書いた、子供の頃好きだった鉄棒少女もそうだし、中学の陸上部のエースもそうなんですが、ともかく自分にできない事を素晴らしくできる人に心惹かれる傾向にあります。「それってどんな感じなんだろう」ってのが口癖でした。今もかな? 他の人はどうなんでしょうか。

生まれつき人から見られるのが極端に苦手なので、仕事として被写体をしている人も同様に強く惹かれます。「どんなんだろう」と。社交的な人柄を生かしたタレントさんも超絶すごい、と思うのですが、ひとたび役になり切ると生き生きと演じるのにフリートークがダメ、という人が多い俳優さんには特別に興味があります。

頭を使ってする事も、ミステリー系の頭脳派キャラクターみたいなタイプの人に憧れたりもします。

ところが、多くの場合本人には「それができる」のが自然なことで、私には苦痛な事をむしろ「好きだからやってる」と理解していませんでした。想像を絶するのだから仕方ありません。

それがコペルニクス的転換した日のことを今でもよく覚えています。私の出身高校は陸上の強豪校だったので、部員たちは傍目にも半端でない練習量を毎日こなしていました。ある日、年下の陸上部員の子と話をする機会があって、あなたたちすごいよ、という意味で「毎日よく走るね」と語りかけました。そしたら、思春期の男の子なので、女子に「よくそんな事やってられるわね、バカなの?」と言われたと誤解したらしく、「走るの、楽しいよなあ」と口を尖らせて周囲に同意を求めました。

その瞬間、ヘレン•ケラーが井戸の水を手にかけられて「物にはすべて名前がある!」なる悟りに至り「ウォーター」と叫んだように、私の中の知恵の輪がピキンと外れました。私が死ぬほど辛くて、いつも我慢してやっている事を、楽しいと思って望んでやっている人がいるんだ!すると、あれも、これも、そういう事だったのか! 後は脳が勝手に多次元オセロの駒をひっくり返しまくりました。

いやいや待てよ。じゃあ、私が好きでやっている事も同じ構図でひどい誤解されている可能性あるのかな。•••本が好き。それを言うと時々相手が一瞬汚い物を見る目つきをするのがそれだ、と気がつきました。大学などは理系だったから、教室で本を読んでいると「何か課題でも出てるの?」と不安そうに聞いてくる人もいて、「別に。好きで面白いから読んでるだけ」と言うと、すごい顔されましたっけ。あれですか。あれですね。

それと、感想文を書け、言われると毎回ネチネチ限度枚数使って書いてくるのも、まさかと思うけど辛いのを我慢して頑張って書いていたなんて思われてたの? それはまずい。まあ、度を越していたのは認めます。半分は自業自得です。

この相互の理解の困難さは、かなり根深いものですが、幸いネット時代に突入して、異なる価値観に気軽に触れらるようになって、だいぶ事情が変わってきました。それぞれは、ただあるようにあるだけ。

でも、こんな分かりやすい法則に何故ハイティーンになるまで気が付かなかったのやら。薄々そんな気がしていたけど、私には何か重大なものが欠けているようです。正直生きているのがしんどいです。「人が自分と同じだと思うな」と幾度となく言われてきました。すべての人がそう思わない限り、マイノリティほど不利になる道徳律なので、スッキリしません。

ともあれ、まだまだ出会ったことのない価値観がこの世に存在しているはずです。世界は価値観と認識の海です。「Growing Reed」を聴いていると、それを実感します。

それぞれの「好き」と「得意」を大切に。それが本人には当たり前のことでも、それが当たり前でない者は必ず存在します。

 

今日はここまで。

では

 

映画「奥様は取り扱い注意」見ました

身体のよく動く役者さんが好きです。年齢性別人種を問いません。高度なアクションをこなしつつ、頭脳•心理戦も似合うノーブルな顔立ちをしている、なんていったら、もう好きになるしか道はありません。私の世界では、日本男優はぶっちぎりで我がアイドルがトップですが、日本女優では現在、綾瀬はるかさん、土屋太鳳さん、清野菜名さん、がトップ3でしょうか。

アクションは、ベースの体力が勝った男性がトレーニングして行うと迫力がありますが、それよりずっと線の細い女性が真剣に取り組むと、その姿の儚さが逆説的に心の強さを表すようで、とても美しくセクシーだと感じます。どちらも好きです。

そんな訳で、行ってきました「奥様は取り扱い注意」。結論から言うと、綾瀬はるかさん、最高。この無垢な愛らしさと強さのギャップたるや!

謎の銃声で終わったドラマの後日談の映画化で、「フライ•ダディ•フライ」「SP」の金城一紀さんが原案を担当されています。また、それらの主演の岡田准一さんが役作りで習得されたカリをアクションのベースにしています。とても実践的な格闘技だけあって、どんな状況になっても迎撃•攻撃の糸口を見つけて、アクションを繰り出していくヒロインのかっこよさがたまりません。2人対大勢のガンアクションは「Mr.&Mrs.スミス」を、ラスボスとの死闘は「ソルト」を連想しました。アンジェリーナ•ジョリーに負けてないかも。

おまけに記憶喪失にかかって、専業主婦をしているシーンでは、市場でお買い物をしたり、丁寧に料理をしたり、日常の描写がとても豊かで、これは「かもめ食堂」なのか?とも思いました。このギャップ。

ドラマで感じた、極めて有能とは言え、1人の工作員に過ぎない女性を、公安が結婚までして見張る設定には無理があるのでは?という疑問も、映画ではきちんと回収されたので、すっきりしました。

ドラマでのキャスト、特に広末涼子さんと本田翼さんが映画に出ていないのも、この設定なら納得です。その分、新しい土地での美しい風景と、出会う人々が埋めてくれます。

続編に関しては、西島秀俊さんが「僕はいないかも知れないけど」みたいな事を言われた理由も最後にわかりました。

一歩間違えば、偏った陰謀論と受け止められかねない金城作品ですが、権力が人を堕落させるのは歴史的に見てありふれた事象ですから、描かれるべきことです。「バイス」見た時も、強く思いました。ジャーナリズム頑張れ、国民を搾取地獄への道から救って、って思いましたもん。ある医療系のコーディネーターが、高いステータスの職業には、それに「なってはいけない」性質の人間が3割を占めている、と証言していました。そうなのかも。その意味で、粛々と物語作りをされている金城さんには敬意を表したいと思うのです。

 

それより何より、楽しかった!ありがとうございました!

 

今日はここまで。

では

エッセイ>少し重めの話(閲覧注意)

私がホームページやブログを始めた目的は、まだ若かった我がアイドルを応援することでした。でも、それが主なのは固定なのですが、「私の大事な人たちを守る」という広い意味の隠れた目的もありました。

その対象の筆頭、私の娘(及び、娘と同年代の子たち)に、私が経験したトラブルを味合わせたくないので、言語化する事で落とし穴の存在を警告する事にしたのです。

学校や社会や家庭でのあらゆるハラスメントを私なりの言葉で語り、どう生きる道を選べば後悔がないかヒントになりそうなものを語ってみました。

そんなひとつ。

女性を狙って、わざとぶつかってくる男性というのは、私の記憶する限り半世紀以上前からいます。ただ、それを言っても「自意識過剰」「被害者意識が強過ぎる」と言われるのが落ちなので、自衛するしかないと思ってきました。妊娠してお腹が大きい時と赤ん坊を連れて歩いている時が被害が最悪でしたが、配偶者に言っても軽く聞き流されるくらいなのだから、赤の他人に言ったところで「被害妄想」だと決めつけられても仕方ありません。娘には、被害の可能性と自衛の心構えを伝授するしかない、と。

ところが最近、駅構内での加害者の動画がネットに出回り、それを重く見た鉄道会社が動き出しました。動画を見て、コメントで女性たちの被害証言の多さを見て、驚いたと言う男性も多いようです。男性だから被害に遭った事がないだけなのに、それをもって「被害なんて嘘だろう」「被害妄想」と決めつけられて来た女性たちの悔しさを、どうか理解してください、と願うばかりです。

でも、加害を楽しんでいる犯人に見つかったら酷い目に遭うリスクを冒して、動画に収めて、ネットにアップしてくださった方には、その勇気に感謝しかありません。どなたかは存じませんが、女性たちの安全向上に多大なる貢献をしてくださったこと、本当にありがとうございました。

それで、ふいに思い出したんですが、建築メーカーに勤め始めた駆け出しの頃、女性技術者第一号というので色々あって、会議でエースが「彼女が仕事の成果と関係ないことで不当な目に会うのを黙って見過ごしたら、自分が不当な目にあった時に抗議する根拠を失う」と言ってくれたのです。さすがエース。ところが、それに対して「えっ?何言ってんすか?こいつ女ですよ?」と名言吐いたやつがいましてねえ(苦笑)。エースに同意する人は、そのコミュニティでは皆無でした。均等法以前。セクハラという概念も存在しない頃でした。

時代は少しだけ進歩したかも知れません。エースのような考え方をする人は確実に増えたと思います。でも、今でも、上司が30代になりたての女性を「おばあさん」呼ばわりした上、辞表を叩きつけられると圧をかけて自己都合退職にします。60代のベテラン女性技術者に「あなたはトシだから、セクハラにあわなくて良いよね」と言ってのけます。この国には、まだまだ進歩していただかないといけませんね。

娘は、私の30年後をついてくる訳ですが、私の「今」を語り続けることは、30年後の娘に生きるヒントをあげ続ける事にもなります。成功も失敗も、共にヒントになります。とても意義を感じます。幸せになって欲しい。それだけです。

さて、娘以外でも、当時の配偶者も私の守りたい対象でした。でも、娘と異なり彼にとっての脅威は彼自身でした。その点は、彼の父親との間に合意がありまして、「一人前にしてやって欲しい」と。特に私が偉い訳でもないですが、生活していく事の厳しさを彼より遥かに知っていましたから。

そんな事情があって、我がアイドルに対して何か含みがあるのか疑われそうな事を、気が重くなりながらも必死で書きました。それを卒業したら、本当に気が抜けてしまいました。

今だから言えますが、当時の元夫のガスライティングを最初から見破っていて、それに気づかないふりをして一般論に見せかけて書いたことも色々ありました。

「なんて素敵な僕。それに引き換え他の奴等ときたら」なるフレーズを複数回書いたのは、元夫のためでした。こういう考え方をする人には訳あってノスタルジーがあるのですが、それが悲惨な未来を招き寄せることも経験済みなのです。

彼は、自分は天才なので努力は不必要だと主張していたので、天才論を書きました。「生きている人間で、僕よりも頭のいい人間に会った事がない」とも言っていましたが、それは三重の意味で真ではありません。解説は今回はやめておきますが、いずれ。

天才中の天才、モーツァルトピカソも、努力も苦労もしました。彼らであればこその努力と苦労を、です。主観的な産みの苦しみについては知りませんが、天才だって、人間だし、社会的存在だし、暮らしがあるのですから。何ひとつ元夫には通じませんでしたが。

今でも、twitterで変わらず上から誹謗中傷をしているそうです。世論の為か「名指ししない」ようになったらしいですが、カテゴリー批判に陥っているのだとしたら、ダサくて、情けなくなります。たぶん死ぬまでこのままでしょう。私と娘のためには絶縁で正解でしたが、その後、彼と歳の差婚して子供まで産んだ人の人生を思うと、気が咎めます。彼の嘘を信じて度々大金を巻き上げられている母親は、半分くらい自己責任なので同情しませんが、他人を搾取するのはやめて欲しいものです。

ただ、ダークトライアドの存在は、広く警告できた気はします。それで良しとします。

 

今日はここまで。

では

物語考>恋物語について

今年の春ドラマは、いつになく恋ドラマのラッシュのようです。それに因んだ、恋ドラマの歴史を解説したブログを読みました。トレンディドラマから始まるリストは、高視聴率の有名どころのドラマばかりですが、それらのたったのひとつも見たことのない自分を再確認して、ちょっと倦怠感をおぼえました。建前ではなく、本当に恋愛物は守備範囲外なんだな、と。贔屓の俳優、監督、脚本家が作っているのでない限り、恋愛物に視聴の意欲が湧かない体質のようです。よく誤解されますが、これはそれなりに生き辛いものではあります。というわけで、横浜流星さんが出演されるので「#着飾る恋」見ます。見る以上はとことん楽しみます。

そう言えばアラフォーの頃、「冬のソナタ」が爆発的なヒットをして中高年女性の韓流ブームがニュースにもなりました。職場では韓流ファンだと決めつけられて、たびたび不愉快な思いをしました。見たことないし、見ようと思ったこともないといくら言っても通じないのが意味不明。「オバサンって韓流好きですもんね」とサラッと言った20歳の女の子いました。やれやれです。他者を年齢性別でカテゴライズしてキャラを固定するのが楽なのかも知れません。ただ、中高年の女性の多くに刺さった理由として、韓流の恋愛物の空気感が、かつての日本のそれと似ていたからだと言います。世相を受けて、恋愛物の流行も時代と共に変わっていきますが、それぞれが刺さる物語もスライドしていくってことですね。

同じく韓国ドラマですが、最近「愛の不時着」は、のめり込んで見ました。娘が「ともかく見て」と言うので、見始めたらつい。ハマりの流れが「エヴァンゲリオン」と同パターンです。「凪のお暇」も。恋愛物だけど、2人が置かれている状況があまりに厳しくて。障害があるほど恋は燃えるそうですが、身分制度がなくなった現代、韓国ならではの特殊な壁が織りなす恋のお話は、ハラハラドキドキの連続で、面白く、切なく、素晴らしいものでした。

話は戻って。

件のブログによれば、日本の恋ドラマの今のキーワードは「自分らしく」だそうです。「アナと雪の女王」の有名な「ありのままに」という歌のフレーズが大流行した頃、「いやいや、ありのままじゃいかんだろ」という呟きを散見しました。人の目に合わせて自分を殺していた女王の、自己解放の歌なのに、その反論はつまり「人に気に入られるように生きろ」という意味になります。別に気にいってもらわなくて結構。自分で自分に納得いく方が100万倍(当社比)くらい重要だ、と思うのは歳のせいでしょうか。みんな、特に女性たち、負けちゃダメだ、とことん自分らしく生きるんだ、人に迷惑をかけず、犯罪も犯さず、自分を破滅させないことなら何でも自由。そう心の中でエールを送った次第。

でも、自分らしさとは何なのか、抑圧されて生きてきた人ほどわからないものです。「凪のお暇」や「#はじこい」のヒロインは、支配的な母親のもとで、自分らしさを見失いかけていたところ、新たな人々との交流によって取り戻していきました。

その逆で、自分らしく生きてきた人でも、恋をした途端に「らしく」いるより、相手に合わせることを選んでしまって苦悩するパターンもあって、ままなりませんね。密かに好きな相手の「異性の好み」を聞き出して、それに合わせるための「らしくない」努力をするとか、経験からしていって、好きな相手から軽んじられるのが落ちなのでお勧めしません。

あ、でも、中学生の時に好きな人が「三国志」が好きだと言ったのをきっかけに、中国文学にハマって、後々いろいろな場面で得しました。建築業界は男社会ですから。きっかけは好きな人でも、途中でそれがどこかに行って夢中になるところが私の「らしい」ところだそうです。

好きな作家のたった一冊の本をきっかけにニッチな進路を決めて、関西の大学で今、教授をしている変わり者の同窓生(女性)もいます。

好きな人の内なる世界を知りたい、というパッションは、概ね良い結果を生むようにも思います。

横浜流星さんが筋トレが趣味というので、自分もはじめたファンがいるそうですが、体作りは健康の基本ですし、特に女性は出産育児に筋力あった方が断然有利ですから、とても良いことだと思います。運動はモチベが肝だと言いますし、横浜さんが先導してくださるのは心強いことです。

好きな人ができてはじめて、自分らしくいることに覚悟と勇気が要るようになるのかも知れません。新ドラマ、そこのところ、どんな感じになるでしょう。どんどん楽しみになって来ました。

 

今日はここまで。

では