『フライトプラン』

見てきました、『フライトプラン』。
好評につき、土曜のレイトショーの最前列がかろうじて残っている、なんて状態で。
でも、そんなことは問題にもならなかった。
えーっと、先に断っておきますと、かーなーり、酔ってます。
ともかく、映画を見終わったあと、楽しく飲みたい気分だったのさ、おかーさんは。

ジョディ・フォスターが最高に強くて優しいお母さんだった。
・・・・・・もう、ジョディ・フォスター、大好き。
ひょっとして、世界で一番好きな女優さんかも知れない。
しかし、『ターミネーター』のリンダ・ハミルトン、『エイリアン』のシガーニー・ウェバー。『ダーク・ウォーター』のジェニファー・コネリー・・・・・・に限らず、アメリカの映画にはどうして次から次へと、こうも強いお母さんが登場するのであろう。
こういう映画を見てて思う。『みんな女捨ててるなー』と。
ただし、ここでいう『女』というのは、化粧やハイヒールに象徴されるセクシャリティのことだ。
この世の何より、子供が大事なのだ。
そういう女性が映画の中ではヒロイン・・・・・・いや、ヒーローになる。
これがアメリカでは認められ、わが国では認められないのはなぜなんだろう。
男性からの抵抗だろうか。
女性からの抵抗だろうか。
両方だろうか。
ファッションメーカーやエステの陰謀だろうか・・・・・・これは冗談。

実際のアメリカの母親が強いかどうかは問題ではないと思う。
映画を見る内にどうしてもわかってしまうこと。
アメリカでは、これが正しく『母親的なこと』と認められている、ということだ。
これがとても大切なことなんだと思う。
日本でこういう母親が飛行機の機内で同じ状況に置かれたら、きっと、機内で構築された『世間』に負けて、我が子を易々と見捨てて死に至らしめるだろう、と思った。
子供を失うことが死ぬほど悲しかったとしても、だ。
そうとしか思えないほど、映画には、優しくて強い母親がなかなか出てこない。
母親だからという締め付けが厳しい割りに、母親だからっていう誇りはなかなかもてないようなシステムになっているんだよねぇ、日本て。
そういう立場を普通『奴隷』と言うし、自分から進んで奴隷になりたい人間はいない。
少子化なんて、いまさら何を驚いているんだか。
みんなが望んでいた結末じゃないの、って思う。

それにしても、ジョディ・フォスターのお母さん、本当に強い。
消火器で男性殴り倒したり、グーでスチュワーデスぶっ飛ばしたり、よじ登ったり、走ったり。
筋肉質の二の腕は本来、男性、父親のものなのかも知れないけど、母親が持っているのも、こうやって見ると悪くない。

というわけで、個人的には、花丸の映画だった。