『オリバー・ツイスト』

先週見るはずだったのだけど、レイトショーの時間が遅すぎるので断念して、今日、早い時間で見てきた。
主人公の男の子が、悲しそうな目をしたきれいな子だった。
ずいぶん前に、見た記憶があるような、懐かしい感じがする。
母性本能が、爆発しそうだ。
オリバーの保護者となる老紳士が、気絶して眠ったままのオリバーを見ながら、
「この子を見ていると、私の中に流れ込んでくるものがあるよ」と言い、
一緒に見ていた家政婦も「私もです」と言う。
「同じく」と私も心の中で言ってみる。

それにしても、十九世紀のイギリスというのは、ろくなもんじゃなかった、ということ、かな。
資本主義の一番腐っていた頃。
貧富の差が激しいのを、こうやって映像でただ黙って対比させていくと、どうしても観客は社会主義的な色に気持ちが染められていくような気がする。
合理主義に凝り固まった大人たち・・・・・・判事や救貧院の職員が、どうにも醜くて仕方がないのだ。

ところで、ずいぶん前になるけれど、ラジオ番組の『Gowing Reed』で、『映画は日本を変えますか』(だったかな)というテーマの時のことである。
我がアイドル岡田准一くんが、「映画は社会を変えるでしょうか」と訊ねたとき、私は、突然、黒澤明監督の映画『天国と地獄』が、世論を巻き起こして営利誘拐の刑が重くなった話を思い出した。
社会改革を狙って作品を生み出す、という姿勢はどうも鼻についてしまうから作品として失敗しやすいけれど、それでも、作り手も人間である以上、憂いや怒りを感じていることは自然ににじみ出ていく気がする。

『オリバー・ツイスト』の原作者、巨匠ディケンズの生きた19世紀イギリスにおいては、作家の社会に対する様々な怒りが風刺という形でいろいろ生きているが、それを今回の映画化ではかなり忠実に描いている。ディケンズ公開処刑の残酷さを作品に描いたおかげで、犯罪者の処刑は刑務所内で非公開で行うようになったのだそうだ。
そういえば、映画のラストシーンは、愛すべき悪党、少年スリ団の頭目、フェイギンの絞首刑の準備をしている官吏の姿を、オリバーが馬車の中から見るシーンだ。
孤児のオリバーから見れば、行き倒れかけていた彼に、たった一人手を差し伸べてくれた人だ。
だけど、そのフェイギン自身、保身のために仲間を密告してきたのだった。
自分の番がまわってきただけ・・・・・・確かにそうなんだけど、じゃあ誰が孤児の面倒を見るのだろう。

・・・・・・保護してくれる人のいない幼児は、みんな透き通った目をする。
よく内乱などで孤児になった海外の子供たちの写真を見ると、
みんな、怒りとか悲しみとか、そういう感情を抜き去ったような、なんともいえない目をしている。
見ていると、胸の辺りがきりきりする。
映画を見て、何かを感じた人が社会を変えるのだ・・・・・・あの時のゲストの方もそうおっしゃった。
そもそもそれだけのものがある映画なんて、観客動員数至上主義の現代に現れようがないじゃないか・・・・・・そう思っていたけれど、二週目の今日も、映画は満席御礼だった。
明るい未来を。