「フライ、ダディ、フライ」-(2)

(2)
2005.7.18
三回目、行ってきた。原作を読んだ時、完全に鈴木さんに感情移入して自分がトレーニングして強くなっていくような爽快感をおぼえて、自分も何かチャレンジしてみたくなったものだった。この当たりはスポ根の一番の効用というべきか。しかし、白状すると、映画が近付くにつれて、徐々に気が重くなっていった。漠然としていて、自分でも理由がわからなかったが、見てわかった。暴行シーンが実写で出てくるところ。そして、鈴木さんが警察沙汰にできない理由がわかったところだ。鈴木さんは、娘が相手の男子高校生と性的な関係を持ったことを心のどこかで疑ったのだな。女の子は、よっぽど荒んだ精神状態でもない限り、会ったばかりの男性と性的な関係なんて絶対に持てない、ということが父親には主観的にわからない。だから、相手は母親には何も言わない。相手の作戦勝ちだ。親子に亀裂が入るのに、親や子供が、性的な存在である、とリアルに感じた時、というのがある。たぶん、それを見ることになる予感がして、気が重くなったのだ。

「大切なものを守りたいんだろう」というフレーズが何度か出てくるけれど、もう既に「守れて」ないじゃないか、と私は思ってしまうのだな。スンシンくんの言う通り、暴行された後の敵討ちは、自己満足なんだと。遥ちゃんの男性に対する恐怖心は、一生消えることはないと思う。映画『青春の門』に、主人公の父親が、母親に「女だからってバカにされそうになったら使え」とピストルを持たせた、というシーンがあるが、私は、夫が妻を守る、親が子供を守る、というのはこういうことだと、見た時に感じ入った記憶がある。ピストルは今の時代には合わなくて無理だけど、危険がある、ということを前提にして、身を守るすべをせっせと教え込むこと。本当に守りたかったら、これ以外にはないと思う。でも、それではお話が終わってしまう。いや、始まらない。

まず、私が母親だったら、娘に、友達と二人で渋谷のカラオケに行くことなど、絶対に許可しない。あのお母さん、良妻賢母なのに、ちょっとこの当たりのリアリティがない。日が落ちてからの渋谷には、陰の気を発して、道行く女の子を物色している若い男がうようよしている。歩いていると、誇張でなく頭痛と吐き気がしてくる。何があってもおかしくない危険な街だと思う。もっともうちの娘は割と重症の男性恐怖症なので、行きたいとも言わないが。

思えば、映画に出てくるビデオの1歳児の遥ちゃん。うちの娘が、公園にたむろしていた中学生の男の子たちに煙草の火を押し付けられたのは、ちょうどあんな感じの頃だった。親として本当にうかつだったと思う。こんな可愛い生き物を傷つけようと思う人間など、いるはずもないと油断していた。うちの娘も、親戚に『おおきいお兄ちゃん』が何人もいて、みんな荒っぽいながらも可愛がってくれるおかげで男の子が好きだったのだが……。あれから、公園に大きい男の子がいると、おびえて絶対に遊ばなくなった。いつかはその恐怖症も和らぐのでは、と見ていたけれど、思春期の今、高校生の男の子に呼び止められれば、「こわい、気持ち悪い」と泣くほど重症である。あの時の中学生、今頃30代になっているはずだが、赤ん坊を根性焼きした記憶、そいつの中でどうなっているんだろうなあ、と時々思う。もしかして、自分の子供がちょうど同じくらいだったりして。

そんなことを考えていた時、南方が提示した『みっつの選択肢』というのが、実は本当は、鈴木さんが選んだ道以外には選択肢がなかったのではないかと思った。いや、南方は面白いことをしたくて「決闘」を選ばせるべく言葉を選んでいたみたいだけど。…………しかし、あの場で「みっつの選択肢があります」と滔々と述べるなんて、その知性にうっとりしてしまう。さて首をかけても良いが、「みっつの選択肢があります」と述べた時点では、南方自身そのみっつが何なのか瞬間わかってなかった。こういう天才肌の人、リアルに書けるところを見ると、原作者さまはまさしくこのタイプと見た。岡田くん、話してて惚れるでしょ。岡田くんが南方でも良かったかも。いや、スンシンがベストだけど。…………さて、警察沙汰にすれば、相手の親の力でこちらも更なるダメージを受ける。泣き寝入りも同様。石原の暴走を2度と起こさせないようにする唯一の方法が『恐怖心を植え付けること』だとしたら、鈴木さんがしたことは本質的に、これから起こったかも知れない被害を食いとめることだった。やっぱり、鈴木さんは正しいことをしたんだと思う。石原の父親がやらなきゃいけなかった教育を、代わりにしてあげたようなものだ。だってあの子、あのままじゃこの先、ちゃんと生きていけないかも知れないから。

原作の鈴木さんより、映画の堤さんはずっと強そうで精悍な感じがする。だから「どんな感じになってるかな」と思ったけれど、毎日電車の中で見かける、ちょっと疲れたサラリーマンの空気を醸し出していた。ちゃんと誠実に生きているいい人だけど、危機意識がゼロに等しい。そんなどこにでもいるお父さんたち。そんな人たちも、鍛えたら、みんなかっこよくなっちゃうかなあ。スポーツクラブで見かける、白髪混じりの年齢なんだけど、りっぱな筋肉して、黙々とマシンをやっている人みたいな。若い男性とはまた違った圧倒的な存在感があって、つい見とれてしまう。若い男性が鍛えるのとは、たぶん動機が異なるのだろう。

筋肉と言えば、スンシンくんのりっぱな身体と、身体能力の高さを嫌と言うほど見せつける動きの数々には参った。あれはすごい。見ないと損だ、というくらいすごい。CGを使ったりカット割りを細かくしたりして実際にはない迫力を出す、なんてこともしていないのに、ともかくすごい。思えば、去年の夏コンサート、この映画の撮影が終わった直後だった。何だか、岡田くんがひとまわり大きくて、それでいて暖かい感じがしたもんだった。納得いった。だけど、その後、岡田くんが、守れる男になりたい、みたいなことを盛んに言うので、どうしたのかな、と思った。スンシンは、自分の身を守る為に強くなったのだけど、鈴木さんは自分の家族を守る為に強くなった。それは、もっと高いレベルで強いってことだ。実際、鈴木さんはしっかり仕事して、家族のために家や車を買って、奥さんと娘を養って、娘をいい高校にやって、ある意味十分すぎるほど守って、その上、男性にしかない力で守ろうというのだから。スンシンは確かに鈴木さんの師匠だったかも知れないけど、教えている者に教えられるということはあるものだ。木の上での二人の会話が、しみじみと良かった。

というわけで、また行って来る。