『花よりもなほ』今、なぜ『仇討ち』か

岡田くんが、某女性誌に、恋愛の話題に絡めて、『花よりもなほ』の登場人物、未亡人のおさえさんの言葉を例に引いていた。父親の仇を討つために江戸で長屋住まいをしている宗左衛門に「お父上の人生が宗左さんに残したものが憎しみだけだったら、寂し過ぎます」とおさえさんは語る。それを見ていて、ふと、「なぜ今『仇討ち』の映画、なんだろう」と思った。

仇討ちと言えば、若い頃に見た夢で、妙にリアルに覚えているものがある。私は、戦闘機乗りの兵士だった。そして、飛んでいる機内で鬱々としている。なぜかというと、これからアメリカに原爆を落としに行くからだ。私が投下のスイッチを押す担当だった。これから自分が引き起こす阿鼻叫喚のさまを想像して、とうとう上官に「どうしてもやりたくありません」と言う。すると、案の定「馬鹿もの!」と怒鳴られた。「命令にそむくことはならん。広島を思い出せ、長崎を思い出せ。これは仇討ちなんだ」と、たたみこむように言われ、私は、逃げられない立場に立たされたことを改めて悟って、がっくり床に座り込む。……たぶん、原爆記念館を見学したことと、映画『博士の異常な愛情』を見たことが、頭の中で化学反応を起こしたせいで、こんな夢を見たんだろう。

なんだか、絶対に人に言ってはいけない夢だと直観して、ずいぶん長い間誰にも言わないで秘密にしていた。秘密だと思うから、皮肉にもますます忘れられないものになってしまった。これで忘れられるかな。でも、夢の中の私は、ずっと「人殺しなんてしたくない」と抵抗し続けていた。夢の中の私は、とりあえず平和主義者のようだ。広島や長崎で死んだのが自分の大切な人だったら、どうだったかはわからない。

9.11を発端とした戦争が続いていることと、この映画、直接ではないかも知れないけれど、何かが繋がっているように思う。この事件を境にして、アメリカ映画が妙だから。

昼休みに、やっとこれだけ書いた。こんな感じでずっと続けていけたら、と思う。私の中で、これから続く三つの映画が化学反応を起こすような予感がする。