映画>『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』その2

さてさて、感想の続きを。

男性ファンの間では、登場人物の女性の中で、綾波レイがダントツトップの人気を誇っているそうだ。
私は、これがなぜなのか、よくわからないでいた。
喜怒哀楽に乏しい人物に描かれているので、明るい女の子を好む(と私が勝手に憶測していた)男の子たちには、きっと不人気だろう、と最初思ったからだ。
それが、まったく逆の現象になるのはなぜなんだろう。
以前、アニメ・コミックマニアの友人から、こんな分析を聞かされた。
綾波レイは主人公碇シンジの母親のクローンであり、そのため母性的かつ自己犠牲的にシンジを守ろうとするところに、よるべない思いをしている少年たちが強く惹かれたのだ、と。
ますますわからなくなってきた。
男の子たちは、平素は女の子を守れる力が仮にないとしても、アニメの中では守れる強い男になるシチュエーションを好むと思っていた。
うーむ、わからないなあ、男の子って。

前回の『序』では、その綾波レイの献身が一番色濃く表れている「あなたは死なないわ、私が守るもの」という台詞と、その戦闘の模様が、テレビの時より格段に迫力を増して描かれていた。
今回のシンジ君は、レイの「私が死んでも代わりはいるもの」という台詞に、代わりはいない、と力強く言い切る。
この代わりはいる、というのは、同じようなスキルを持った者がたくさんいる、という意味だと思っていたら、本当に代わりがたくさんいるんだもん、まいった。
シンジ君はそれを知っていたのだっけ?
その上で、代わりはいない、と言ったのだとしたら、とても男らしくて立派だった、と思う。
本当に強くなって。
さて、この強いシンジ像を、綾波人気を支えていたファンたちは、どう受け止めるだろう。
そろそろ、あちこちの感想を拾い読みにいかなくては。
これに共感する若い人たちがたくさんいたら、どんなにか頼もしく、嬉しいことだろう。
若い女の子の「代わりはいる」発言は、子供を産んだ者にとっては、突き刺さる言葉なので、とてもつらいのだ。

ところで余談になるが、以前、見た映画については、それが面白かろうとつまらなかろうと構わず、覚書のつもりで感想をずっと書いていた。
それが急に書くモチベーションが地に落ちたのは、ある有名な映画ブログの炎上&閉鎖事件を目撃したことからだった。
その時に炎上のきっかけとなったのは、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の感想文だった。
確かに、ファンを愚弄する挑発的な文だったので、反撃も一方的に責めるわけにもいかない。
ただ、炎上というのは、どうしても一人の相手に大勢で押しかけるので、私としては正当な行為とは認めにくい。
ましてや、口汚く罵倒したり、相手の個人情報を匿名掲示板にさらしたりしたら。
エヴァファンの印象がさらに悪くなって、残念なことだ。
その姿に、映画のエンドロールで流れる宇多田ヒカルさんの歌がぴったり重なって、これは、現実との二重構造をなしてしまっている、と気がついた。
『破』で進化した。
『Q』ではどんなことになるだろう。
楽しみである。