映画>『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』

「序」に続いて、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を見てきた。
私は、とりあえずオリジナルの方を三回目辺りからずっとリアルタイムで見ていた口だから、エヴァ関係の映画はすべて見ている。
家族三人とも、物語がとても気に入って、特に夫と私は、お話を記号的に読み解くのが面白かった。
そういう「仕掛け」がたくさん盛り込まれた、魅力的なファンタジーだと思う。
ただ、以前のは、伏線がすべてちゃんと回収された、すっきりしたラストではなかったので、その辺りは未完成だと思っていた。
未完成で完成、だと。
今回の再度の映画化は、ひょっとしてそれを完全にするものなのか、と想像していた。


巨大ロボット(正確に言うとロボットではないけれど)のメカデザインとしては、その姿、動きの美しさがずば抜けているので、戦闘シーンを徹底的に美しく描き出した今回のシーンの数々には、めまいがするほどだった。
自在に視点が移動し、スピードに目と心がついていくだけで精一杯。
何かを考えている暇がない。
情報量に圧倒されて、体中に力が自然に入ってしまう。
どうしてこんなことができるのか、クリエーターの脳は一体どういうことになっているのだろう。
私などは、こういうかっこよさを、つい、観客の興味を2時間とどめておくための撒き餌だと決め付けてしまいがちになる。
だけど、クリエーターのとっては、このかっこよさのほうがメインの目的なのかも知れない。


「それぞれのパイロット(14歳の少年少女たち)は、なぜエヴァに乗るのか」
それが、要するに一番下地にあるテーマ、だと思った。
大人から「やれ」と言われて、素直に従っていた時から、自分で決断する年齢に移り変わるのが、14歳、思春期というものだから、大人のように社会的な動機だけでは、彼らは動けないんだと思う。

今夜は眠いのでここらで。