映画「竜とそばかすの姫」観てきました

「竜とそばかすの姫」観てきました。

絵のクオリティは相変わらず凄かったです。「現実」での自然や街のディテールに至るまでの緻密さ鮮やかさ。「仮想空間」での人の想像力の限界に挑んでいるかのようなビジョンの数々。これを観ているだけでも飽きないのに、ベルの歌の美しさたるや!

そして、物語も素晴らしかったです。

今風の言い方で言うと、同じ細田監督作の「サマーウォーズ」と同じ世界線の物語ではないかと思います。監督が番宣のインタビューで語っておられた、ディストピアではないネット空間のお話です。

それはどういうことかと言うと、人間がリアル世界から解放され個になるネット空間では、人の闇の部分が増幅して無法地帯が出現すると予想されがちです。事実、現実では匿名の誹謗中傷による炎上が後を断ちません。ネットを危険視する人たちの論拠もそこだと思います。物語では、ネット空間で自警団を形成する人たちも登場しました。どこか見覚えのある嫌な連中。

ただその反面、人間の聖性もまた集積・増幅されるので、悪いことばかりではないとする考え方もあります。良いものを良い、好きなものを好きと素直に表現できる点などが、それでしょう。

リアル世界では地味で目立たない女子高生が、トップのフォロワーを持つ歌姫ベルとなり得るネット「U」の世界は、確かに魅力的です。アバターが、それぞれにしがらみから解放された「別の人生」を提供してくれるのは引き込まれます。主人公すずのコンプレックスであるそばかすが、アバターBELLではまるで古代王朝の化粧のような、美しい文様になっています。アバター作成のプログラムを作った人は、神が如き天才ですね。

それは単なる現実逃避でしょうか。現実の世界で当たり前のように人々が出自や容姿や性別や年齢でカテゴリー分類され差別されているのは、仕方がないことなのでしょうか。そうしなくてはならない合理的な理由はあるのでしょうか。そんな事を考えると、「U」の世界は、人類全体を巻き込んだ、ひとつの壮大な実験に思えてくるのです。

そこで考えるのです。私の生きている間に「U」の世界は実現するのではないかと。

30年前の、16ビットマシンに2400bps程度のモデムを繋いでパソコン通信を始めた頃を思うと、ネット通信が今日のようにまで進化したのは驚異です。初期は画像一枚を送るだけで一苦労だったのに、今では動画の撮影も送信も、何の苦労もありません。

VRや3Dアニメーションのクオリティは日進月歩だし、ARは、ポケモンGO等のゲームの大成功によって、技術の進化に拍車がかかっています。AIが、人間の頭脳労働の負荷をどんどん軽減していき、本当に人間にしかできない営みだけが残るのも時間の問題でしょう。

ある意味、タイムマシンに乗ってしまったくらいの感覚です。メディアに絡んだ仕事も急激に変化しています。生活のありとあらゆる場面が変化しました。この加速度で10年20年進化したら? 「U」が出現する可能性は低くないと思うのです。

もし、生きて「U」の世界の住人になれたら、と考えた時、パッと浮かんだのが、運命のようにぴったり合った友だちに出会いたいな、ということでした。私とは完全真逆でぴったりなのか、生き別れた双子の兄弟のようにそっくりなのか、それは分からないのですが、一緒に時を過ごすのが自然で幸福だと思える人に、です。

主人公の歌姫ベルこと、すずは、同じくネットの超有名人ながら、ネット民から愛されている自分とは真逆の嫌われ者、竜と出会います。正反対ながら、二人には他とは異なる共通点があります。他のアバターと馴れ合わないところとか。そして、お互いがお互いの救世主です。もしネットが存在しなかったら、そんな出会いも存在しません。二人ともが救われる日も来なかったでしょう。

竜を探す為に歌うベルの「はなればなれの君へ」は、泣けます。聴衆のアバターたちが涙ぐむのが嘘になってないのが素晴らしいと思いました。

人類は、「戦争」と比喩されるほどのトラブルに見舞われながらも、モータリーゼーションを放棄しませんでした。だから、薬物中毒のような依存者の増加が社会問題となっても、webを放棄する日は来ません。できません。むしろ、交通に関わるシステムを粛々と進化させたように、webが人類の幸福を高めるような、ソフト方面の積み重ねをしていければ、と思うのです。法規制もそうですが、マナーと総称される、皆んなが心地よく幸せになるための不文律も、積み上げられると良いかと思います。間違っても、特定の誰かの唱える「正義」に振り回されないように。皆んなの幸せのために。

以上、感想でした。