本>「パレード」 ややネタバレ

日曜日、夕方買い物から帰ってきたら、アマゾンから『パレード』が届いていた。
注文しても、いつ入荷されるか不明、ということだったので、忘れていたのだった。
そうかー。映画化のニュースがあってから、注文が殺到したのね。
映画を見てから読むことに決めてたので、「ちょっと、ぱらっとするだけ」と思いぱらぱらと……。
はっと気がついたら、読み終えて満腹し、デザート代わりにあとがきを読んでいた。
気をつけて。この本、何か魔法の素材で作ってあるみたいだから。

あらすじについては、あちこちにあるのであえて書かないけれど、ルームシェアしている若者たちの話、というと、「俺たちの旅」から綿々と続く、若者の心の探索の物語、という連想が働く。
それはある意味、当たっている。
だけど、当たり過ぎてて、突き抜けている。
『今』のアイテム……番組名とか、有名人の名前とか、出てくるので、それがまるでブログを読んでいるかのような、現実感すら感じてしまう。

あとがきを書かれた川上弘美さんは、「こわい」を何度も連発されていた。
「こわい」というのはいろいろある。
私の知る、どの「こわい」だろうか。
ネタバレを慎重に避けようとして書かれているらしく、その点が曖昧になっている。
というか、それがこの物語の核だと思う。
私も明言するのは避けておこう。
例えて言うのなら、予備知識なく見たときには普通の風景に見えたのに、実はとんでもなく危険なものが巧妙に隠し込まれていた、と知ったときに感じる怖さ。
「凍りつく夏」で、ホームドラマのような父と子供たちの暖かな団欒風景が、実はすべて父親が暴力で築き上げた偽りのものだと知ったとき、感じた怖さ、に似ている、かな。
いや、こっちは、因果がわかるだけ、まだ救いがある。
だけど、「パレード」のそれには、救いがどこにも見当たらない。
フルメタル・ジャケット」で、ラスト、兵士たちが「ミッキーマウスマーチ」を歌いながら行進していく怖さ、こっちの方に似ているかな。
それ自体は怖くないのに、その前後のこととあわせて考えてみて、そこに映っている人間はすべて狂人だと、はたと悟った瞬間の恐怖。
本来、普通であるはずがないのに、あくまで普通に見えるものは、とても怖い。
壊れているからなんだね。

藤原竜也さんは、少年の時から、狂気を表現するに他の追随を許さぬ演技で、名声をほしいままにしてきた。
少年の狂気というものには、大人たちにはそれぞれ覚えがある。
少年だから壊れやすいし、その代わり修復も早いというわけだ。
これからは、どうなっていくんだろう。
藤原さんを通して、クリエイトする人たちがどう考えるのか、それが知りたいところだ。

あまり感想になっていないけれど、映画、今からとても楽しみだ。
川上弘美さんによれば、二回目三回目四回目に読む、それぞれの「こわさ」には違いがある、ということだ。
私も、少し時間をあけて、その異なる「こわさ」を味わってみようと思う。