DVD>映画『バトル・ロワイアル』 今更だけど

最近眠れない。心配事があるせいだということはわかっている。解禁目前の娘の就活のことが気がかりでならないのだ。
書く文にも、その気持ちが表れているようだ。
どうか、社会人へのスタートの第一歩が、うまく踏み出せますように、と、すべての想いはそこから放射状に出ている。

バトル・ロワイアル』長い間の封印を解いて、去年の秋についに見た。
藤原さんの出演したもので、映像が手に入るものは一部の例外を除いてすべて見るつもりだったけど、ずっと後回しにしていたものだ。
何しろ娘が、公開当時ジャスト中学生だった。
しかも中学校は、娘にとってつらい場所だった。浮いてたそうな。
今はもう思い出したくない、と言う。
映画を避けて通ったのは仕方のないことだった(なんか言い訳がましいなあ……)。

原作は、酒鬼薔薇事件があった1997年の翌年の第五回日本ホラー小説大賞の最終候補に残ったそうだが、事件から着想を得たかどうかは知らない。
しかし、それを基にしたこの映画の方は、はっきりと多発する少年犯罪に影響を受けたと製作者が明言している。
深作欣二監督は、太平洋戦争時の学徒動員の際に生じた「国家への不信」や「大人への憎しみ」が人格形成の根底にあったと語っておられた。
加害者の少年たちの心情を思うと他人事ではない、と。
だがもし、時代がもっといいものだったら、中学生たちは憎しみを心に抱かず、何も加害的な行動を取らないだろうか。
どっちとも言えない。

映画の中学生たちは、好きな異性のことばかり考えているように見える。
こんなもんだっけ? こんなもんだった。
この点に関しては時代の差はないようだ。
中学生の未熟なエゴで、次々と殺し合いをしながらも、恋や友情がどこまでその歯止めになり得るか。
その中でも、七原秋也と中川典子の二人は、古風な、いまどきの言葉で言えば純愛カップルだ。
「こういうの、いいなぁ」と思う。こんな子ばかりだったら、安心なんだけど。

ところで、この映画の中で、一番衝撃的だったのは、灯台の、女の子同士の撃ち合いだ。
信がないとみんな死ぬ……中国の言葉にそんな意味の言葉があったけれど、これのことか。

思い出した。
高校生の頃、こういう夢を見たことがある。
私の悪夢のパターンのひとつに、何者かに追いかけられて、必死で逃げる夢がある。
ある日、私の人生で、最も恐ろしい相手に追われる夢を見た。
それは、当時の私の親友だった。普段は美しいその顔を、憎悪で醜く歪めて「殺せ!」と叫びながら、大勢を引き連れて追いかけてくる。
その夢を見た後、彼女の顔がしばらくまともに見られなかった。何だか悪いことをしてしまったようで。
でも、その夢は、今ならはっきりとわかるが潜在意識からの「警告」だった。
私は、人を信じるのがとても下手だったので。今でも下手だけど。
どんなに親しくても、やっぱり他者が怖いのだ。
案外、こういう夢を見たことがある人が多いから、この映画もヒットしたのかも知れない。
既視感があるんだと思う。
私は、武器を持たずにさっさと身投げしてしまう、あの女の子だ。

虐待にあった子供は、長じて人を信じなくなるという。
身体的な傷はやがて消えるが、心理的な傷はいずれその人を内側から破壊し始めるからだと。
でも傷つかずに生きるなんて、できるわけがない。
特に、中学生の頃のこころは一番剥き身で痛い。
蜷川さんが、ロンドンでの身毒丸の最終公演で、腰を痛めた藤原さんの代役を出そうとした時、絶対出ると言って泣き叫んでいる藤原さんを見て、もしここで誰も手を掴まなかったら、この若さで人を信じなくなると言ってらした。
これ以上優しい言葉は聞いたこともない。そう思った。

思いつくまま書いてみた。