ビデオ>『ボーダー』第三話 ネタばれあり

先日、三島作品に絡んで、魔女狩りのこととか、猟奇的な心理について書いてみた。
実際、藤原竜也さんの舞台は、最初からそういう変わったタイプの主人公が多い。
最初が『身毒丸』で、しかも素晴らしすぎたから、あれから影響されて創造力をかきたてられたクリエーターも、きっと多かったことだろう。
若き天才がこの世に現れたら、絶対にやって欲しい役、というのがたくさんあったことだろう。
たぶん、この『ボーダー』というドラマのゲストも、そういうもののひとつじゃなかったかな、と思う。

映画『羊たちの沈黙』に影響を強く受けたとおぼしき、猟奇殺人ばかりを題材にしたサスペンスである。
藤原さんが出ている回だけを買って見てみた。
おもしろかったー。
藤原少年、かわいくてきれいだったので、少年愛にリアリティあったし、中森明菜さん、蔭があって美しかったし、こちらも主人公にぴったり。
ちなみに、あれから中森明菜さんのベストアルバムを買った。

藤原さん演じるは、醜い大人になることを拒否して抵抗する少年。
そこから来る猟奇的な殺人、ふたつ。かろうじて未遂に終わる自殺、ひとつ。
「大人になりたくない」と思う子供は珍しくないだろうけど、こういう形で実行する子は少ないだろう。
私は、自分がきれいだと思ったこと、ないしねえ。
「きれいなままで」というのはよくわからない。
「これ以上醜くなる前に」というのならわかるが。
思春期のときの絶望というのは、そういうものだと思ってた。
また、それが普通だということかも知れない。
主観的にきれいだと思うのと、客観的に思うことの間には、何か深い溝があるようにも思う。
たから、不思議な事件として描かれて、ドラマとして成立する、と。
ただ、思春期の頃の、異性や性に対する不浄感は、思春期の精神障害のパターンでもあるらしい。
親友に恋人ができたことを、「あの女が汚くしようとした」という感じ。
友達は、恋をして、自分より一足先に大人になろうとしただけなのに。
幸せのてっぺんで、恋人ともども殺された友達は、きっと少年を恨むに違いないけど、そこまで頭がまわらないで、何か友達にいいことを施した気持ちになれるのが、とても病的だ。
この当たりは、親しい人間を殺害する犯人にありがちな心理のようだ。
思うに、どうして人間というのは、性ホルモンの分泌の変化ごときにかくも振り回され、人類の本質というべき大脳を、こんな風に酷使して自滅するのであろう。
大人になる、というのは、その険しい山登りをやり遂げる、という意味なんだろうか。

少年が、最後に「あなたはもうきれいじゃない」と言われて、涙をぽろっとこぼすところが、もう迫真の演技で、「神!」とか思ってしまうなやっぱり。
「そんなことあるもんか」の次が、「この腐った世の中が悪いんだ!」だった。
ハムレットとこうして繋がる。
藤原さんは、もう、この年頃の少年の、ぴんと張りつめたこころは、演技者としてあますところなく演じ尽くしたんじゃないかと思う。
それは、偉業と言えるほどだと思う。

これからは、また等身大の若者のこころを演じてもらえるので、それが楽しみでならない。