本>『ロマンチックウイルス』

さてさて、我が家では目下のところ、家庭内別居状態である。
共有スペースは、風呂場、洗面所、トイレ、廊下、のみである。
トイレには、読みかけの本が雑然と置いてある。
夫が買って置いてあるものでも、面白そうであれば私も見たりする。
ある時、夫がゴミ出しのルールを守らずに混ぜて出すので、自治会に責められるのは主婦とみなされる私だと、文句を言ってみた。
すると、「環境問題の嘘」みたいなタイトルの本がずらっとトイレの本棚に並ぶ。
私が言いたいのは環境問題ではなくて、自治会との関係なんだけど、すり替えて思い込んでいる人には何を言っても無駄だ。

数日前、同じくトイレに『ロマンチックウイルス』なる本があるのに気がついて、中をめくってみた。
ロマンチックな本かと思ったら、そうじゃなかった。
ヨン様氷川きよしさんやジャニーズにはまる中高年女性たちについての研究レポートだ。
速攻で読んで、私に何が言いたいのか、夫に問いただしてみた。
私とは関係ない、という答えだったが、それが本当かどうかは、わからない。
嘘をつくことに良心の呵責を感じないタイプの人なので。
つまり聞くだけ無駄だったが、私と全面衝突する気だけはないらしい。
不倫を正当化するために、私のアイドル狂いとやらの病理の理論武装をしている可能性も、この人の性格からしていってゼロではないと思う。
応援ホームページを書けと勧めたことも、ホームページを辞めたいとこぼす私を脅迫して続けさせたことも、脳内で消去されている可能性もある。
でも、まあ、それはどうでもいいことだ。

この本で定義されている「大人ミーハー」と私のはまり方には、ひとつ決定的な違いがある。
私には、ファン友がいない。
進んで作ろうと思ったこともない。
ファン友がいたら楽しいだろう、と考えたことも、ない。
これは私個人の特殊事情なので、それを除いたら、あとはほぼ「大人ミーハー」と言える。

ファンライフは楽しい。
もともと大好きだった映画が、より深く鑑賞できるようになる。
映画鑑賞は、ともすれば惰性でだらだら見てしまうのが、もっと積極的・能動的に見るようになる。

また、発信するのも楽しい。
ホームページやブログに誰かを想定して書くことで、そうではない時には出て来なかったアイデアがあふれ出すものだと、体験で知った。
今まで磨き上げてきた日本語力を駆使して、どんな風に表現してやろうか。
それを考えているだけでも楽しい。
そして、思考が進化していく。
役者ファンをしていての最大のメリットはこれだと思う。

正直、私は人を褒めるのが好きな方だと思う。
「いいなぁ、この人」と思ったら、そのままの言葉で言いたい。
娘は、「お母さんから産まれてきた子は、ちやほや育てられる運命よね」と言う。
娘をちやほやしたつもりはないけど、たぶんその通りなのだろう。
だけど、他人にもこれを言ったら、胡散臭いと思われておしまいだ。
いいことない。だから言わない。
これがブログだったら、そして相手が表現者だったら、もう言いたい放題できる。
表現されたものも、表現しようとそこに立った人も、私にとって価値あるものだと、きちんと言葉にして発信できる。
これが精神衛生に非常によい。
とても助かる。
インターネット様様だ。

……ネット上の書評を読むと、「自分が大人ミーハーです」という人の意見は少ないようだ。
そうだよね。他人のまな板の上なんぞに誰だって乗りたくはない。
私もそう思うから、長らくずいぶん注意深く、マジョリティになることを避けてきたというのに。
とうとう、揶揄されるカテゴリーの中に放り込まれてしまったようだ。
「中高年のおばさん」というひとくくり。
そこの内部には、バラエティがあまりないのだろうか。

……こころがどうやら疲れているようだ。
今夜は、これを書かずにはいられなかったけれど、着地点が逆に見えなくなったみたい。
というわけで、中途半端だけど。