週末鑑賞 動画>『お気に召すまま』『タイタス・アンドロニカス』『カリギュラ』

さてさて、例によって舞台鑑賞のための予習である。
『ムサシ』は舞台だから、映画のように何度もリピートすることはできない。
だから、できるだけ観劇の途中で頭の中に「?」マークが浮かんで、舞台に集中できない時間を生じないように、勉強しておく。
まずは原作の吉川英治著『宮本武蔵』はアマゾンに注文した。
明日あたり届くので、来週までには読めるだろう。
同じ原作を元に連載されているコミック『バガボンド』は、それが終わったらレンタルショップで借りて一気読みする予定である。

作者の井上ひさしさんが20年以上も前から暖めていた企画だというところに惹かれる。
今のキャストで企画が上がったのが二年前だというから、私がこの舞台に直接出会うタイミングとしては、縁のようなものだった、という想いもする。
『不忠臣蔵』が出版されたのは、1985年、24年前だ。
今回の『ムサシ』の企画の原型は、既にその頃に井上さんの頭の中に存在していたことになる。
私は、それが出版されたばかりの頃に読んだ。
正直、武士を中心とした社会がかつてこの国にあったなんて話は、ネバーランドやオズの国の存在と同等に、私には遠いことだ。
だからこそ、そこで語られる復讐という形の殺人の話などに、何の実感もわかない。
わかないから、物語を読んでいるときに、ややもすれば殺人を肯定的に見てしまう。
場合によっては、復讐の達成に、爽快感さえおぼえてしまうのだ。
自分で言うのもなんだけど、私はどこか好戦的なところがあるので、なおさらそうだ、
『不忠臣蔵』は、それを深く内省させられるような本だった。
時代劇を見ながら、現代的な道徳観に照らして筋の通らない快感に浸るのは、その道徳観が、まだしっくり来ない制服のようなものだからだろう。
人殺しをすることによってヒーローになった人間について、井上さんが考えていること、というのは、『不忠臣蔵』から大きく外れてはいないはずだ。
全面的に肯定することはもちろんないけれど、だからと言って、全面的に否定するほど単純なことではないだろう。
それをどう表現されるのか。想像をめぐらしてみる。
藤原さんが言うには、「どたばただけど、楽しい作品」だそうなので、最初に思い描いたものとは違ってきた。

前置きが長くなったが、予習の話である。
藤原竜也さんが、映像での印象と舞台のそれが、別人のように異なっているから、小栗旬さんもそうなのかな、と以前から予想していた。
そして、例によって手に入る限りの、小栗さんの舞台の映像を見てみた。
それが『お気に召すまま』『タイタス・アンドロニカス』『カリギュラ』である。
舞台に立っていると、小栗さんはとても華がある人だ、という印象が強くなる。
背がひときわ高くスタイルがいいのが、舞台だとよくわかる。
映像だと何となくここまで高く感じないのは、実年齢より若く見える顔立ちのせいかな。

その顔立ちで思うこと。
小栗さんは、顔に欠点がないのに、一目見たら忘れられない面影だと思う。
人間の顔を覚えられなくて苦労してきた私にしては、かなり珍しいことだ。
性別、美醜にかかわりなく、覚えられない。
どちらかというと、年配の人より若い人の方が覚えにくい。
なのになぜか、一目見て忘れられない人がたまにいる。
小栗さんは、その数少ない人の一人だ。
ちなみに、藤原竜也さんの顔もいっぺんで覚えた。
名前と顔を覚えはしたけど、映画がメインなのでなかなか芝居を見る機会がなかったのは残念だ。
すべては、これからだ。

さて、その人が、舞台の上で、とんでもない悪いことをする。
藤原さんと同じように暴力の匂いがしない若くて美しい人が、舞台の上で暴力を言語のように使い、周囲を翻弄する。
でも、どれだけ悪逆非道なことをしても、その人がある意味、誰よりも純粋であることを認めないわけにはいかない。
気品が、一瞬たりとも損なわれることがないからだ。
その人の中に、悪に抗う部分がないからこそ、悪をなしても純粋である、という皮肉。
週末ずっと、その芝居を見続けてきたので、今少し頭が変な感じになっている。
全き悪は、滅びるしか道がない。
その滅びは、仕方のないことだけど、その人が美しい姿をしているせいか、とても悲壮に見える。
『タイタス~』のエアロン。『カリギュラ』の皇帝。
それぞれが言っていることには、筋は通っているような気もするんだけど。

それにしても、善とされるものから腐臭がただよっているような気がするのは、気のせいだろうか。
一点のしみもない白い服から感じる不潔感。
整然とした宮殿の内部から感じるよどみ。
それは、『嗤う伊右衛門』で花がいっぱいに生けられた花瓶に、奇妙な不浄感を感じたのと似た感覚だ。
表現者が意図したものを、私がきちんとキャッチできたってことなんだろうか。
それとも、誤読なんだろうか。

小栗旬さんが、若いのにとても優れた役者だってことは、いやというほどわかった。
だって、下手をすればただの悪者に過ぎないのに、もっと別の「何か」だと感じずにはいられなかったので。
自分にない要素の役の方が、演じやすいという話も聞いたことがある。
『ムサシ』も、それぞれの役とキャラクターがあべこべだ、という指摘もある。
とても興味深い話だ。

今夜はもう遅いので、つづきはまた後日。