本>『近代能楽集』三島由紀夫

藤原竜也さんの舞台の中で、DVD化されていないものがいくつもある。
その中でも、『ハムレット』に次いで見たいもの『近代能楽集 弱法師』。
ドキュメンタリーの動画の中で少しだけ見られたけれど、身毒丸ハムレットにも勝る迫力の舞台。
やっぱり全部見てみたい。
せめて原作を読んで、イマジネーションの中で舞台を味わってみようと思い立ち、購入の上、読んでみた。
ちなみに、戯曲の原作を読んでみたのは、この他に『身毒丸』『ロープ』『オイル』。
それらについてもおいおい書いていこうと思う。

蜷川さんが、『近代能楽集』を演出するに当たって、三島文学の絢爛たるレトリックは、俳優を信頼せず言語だけで表現しようとしている、それに対する生理的な反発を感じた、と言われていた。
それに対抗するのは「セクシャルに」。性の快楽のような壊滅的な状況。
「竜也、これはセックスなんだ」という言葉に、何だかどきどきしてしまった。
蜷川さんが言うと、嫌らしく聞こえないのはなぜだろう。
というか、蜷川さんの舞台・映画では、散々エロティシズムが描かれるのに、嫌らしさ、つまり性への生理的嫌悪を覚えないのは、一体どういうわけなんだろう。
私らしくない。
今だからの告白だけど、高校生の時に騙されて映画『忍ぶ川』を見せられて、トイレで吐いた経験がある。
出演者は、きれいなラブシーンを描きたかったと語っていたけれど、まさにそれが嫌だった。
もともと人に見せるもんじゃないと思うし。
思えば、恋愛物アレルギーは、あの時から始まったのだった。
それが、どうやら薄まりそうだ。
藤原さんは、芝居で自分を美しく見せようとしていないような気がするけれど、絶対的に美しい。
どういうわけなんだろう。

余談だけど、私の、三島文学との付き合いについて。
高校生の時に『潮騒』を読んだのがはじめで、映画の原作としてだった。
ただし、三浦友和山口百恵主演のものではなくて、そのひとつ前の1971年版の方のだ。
見たこともないほど、きれいな言葉の小説だと思って、どきどきした。
続けて、そのきれいさを期待して、代表作だと言われる『金閣寺』を読んだ。
「うーん」となってしまった。
私には理解できない感情が渦巻いているような。
よくわからないけど、快とも不快とも言えない妙な感じだけが心に残った。
次に、『仮面の告白』。途中で挫折。
それ以来、三島文学には触れることなく、現在に至る。
久々の三島文学。
初めての三島戯曲。

『近代能楽集』の中では、『弱法師』は最後に位置する。
それを読む前に、最初から読んでみようと思って、一番最初の『邯鄲』から読み始めた。
三島戯曲というものに初めて触れたのが『邯鄲」ということになった。
うーん、『仮面の告白』を読んだ時より腹が立つ(笑)。
「喧嘩売ってんの?」と言いたくなる様な女性差別の言葉を、主人公が言いまくること(笑)。
もっとも、実際に舞台となったら、そのレトリックの素晴らしさに聞きほれてしまうかも知れない。
それだけは、否定しようがない。
それで、中間を飛ばして、最後の『弱法師』を読んだ。
何となく、最近調べていたサイコパスを感じさせる人物だ、俊徳という人は。
サイコパスは、人を操る。そのために、人をとりこにする。あるいは恐怖を植えつける。
俊徳は、盲目であるという弱点を、人を操る道具にしている。
だけど、彼は少しも醜く見えない。
人間の美醜とは、正邪とは別のものさし。そう言いたいのだろうか。
サイコパスと思しき登場人物を、絶対的な敵対者ではない主要な位置に据える作家は、多くはそれを強調したいのだと思う。

三島さんは、自己愛性人格障害者として有名だと言われている。
私にはよくわからない。
自己愛そのものは誰にでもある、食欲と同じ、生命力のあかしだ。
他者の自己愛を許さないほどに膨張した自己愛が、病的なのだ。

以前、三題小噺風に詩を書いていたときに、「ありがとう」「イルカ」「唯我独尊」と引いた時のこと。
釈迦が、生まれてすぐに天を指して言ったとされる言葉「唯我独尊 ただわれひとり尊し」というのは、自分だけが大切という傲慢な言葉だと解釈されているが、実は違うんじゃないか、と以前から思っていた。
誰だって自分は可愛い。
だけど、目の前にいる「あなた」にとっても、私と同じように「あなた自身」が可愛いんだと。
それがわかる者は、人を侵害してはいけないんだ、と。
そうやって、自分を中心に放射状に、人を大切にする意志を広げていける。
「唯我独尊」は、その波紋の中心のようなものなんじゃないか、と。
そう思って「ありがとうのうた」の詩を書いた。
だけど、「私には私が一番大切」で、止まる人は、次に続く言葉を読まないだろう。
自分が幸せになりたい、ということと、自分さえ幸せならいい、ということの間には、無限の隔たりがある。
ここに隔たりがあるんだと、どうやったらうまく表現することができるのだろう。
その答えが 物語 なんじゃないか、と思っている。

まとまらないけど、この当たりで。