『おと・な・り』について

岡田くんのファンをやめたと言いながら、私もいい加減しつこい。
しかし、好きな俳優・女優はたくさんいて、映画に出演すれば必ず見に行く、という人も何人かいる。
その人たちのファンかと言えば、そうでもない。
たとえば、ジョディ・フォスター、大好きなのに、誕生日も知らないし、年齢もアバウトにしか知らない。
岡田くんは、そんな人たちと同じポジションになったのかも。
言わば、私の心の中の殿堂入り。
インタビューを読まず、映画だけ見ていれば、何も腹の立つこともない。
……機嫌が悪いとどすどす歩いたり、怒ってると荒々しくドアを閉めるのは女性だけですって?
すると、私の元亭主は、あれは女か。
文字通り裸足で夫から逃げてシェルターに駆け込んだ女性たちにもそれを言ってみたらいい。
「その通りですね」とは間違っても言ってはもらえない。
やれやれどうして、そういう一般化ばかりするのだろう。間違ってるし。
何か調査データでもあるっていうの?
いや、仮にそう思っていたとしても、それを言い散らかすことによって、映画の興行に悪影響があることを、子供じゃないんだからそろそろわかって欲しいわ。
また、本気でそういうことを思っている相手と付き合うと、女の子はじわじわ心身ともにブスになっていく。
井ノ原さんの奥さんは、付き合いだしてから大輪の花が開くようにきれいになっていったというのに。
……なんてことを、インタビューさえ読まなきゃ、考えることもないわけだ。
どうせ何を言っても無駄なのだから。

さて。
次の映画、初夏ということらしい。
どうやら劇場も近場でやってくれる模様。
かもめ食堂」のときのような秀作だと嬉しい。
シナリオは、コンクールの入選作品だとか。
期待して良いかも知れないけど、賭けだ。
その『おと・な・り』の基本アイデアだけど、『太陽にほえろ』によく似たストーリーがあったのを思い出した。
アパートに一人暮らしをしている男性が無実の殺人容疑をかけられ、一度も顔をあわせたことのない隣室の女性がアリバイを証言してくれた、というストーリー。
その女性は、現場検証をして、その被疑者の男性と他の人の発する音を全部聞き分けてみせる。
実は、彼女も一人で東京に出てきて頑張ってて、隣から聞こえてくる生活音に安らぎを覚えていて、顔を見たこともない男性にいつからか好意を持つようになっていたから。
容疑が晴れて、解放された男性は、朝のアパートに帰ってくる。
ゴミ捨て場にゴミ出しをしている(だったと思う)女性。
そこにまっすぐ歩いていく。
足音ではっとして顔をあげる女性。
見つめ合うふたり。何かが始まる予感。終劇。

この頃のドラマには、東京に出てくることに対して、孤独感や悲壮感がセットとして語られるのがお約束だった。
音楽で言えば「東京砂漠」とか「遠くで汽笛を聞きながら」とか。
それがベースになった、ちょっとファンタジックなラブストーリーとなっていた。
さすがにこのごろのドラマにはそんなこてこての哀愁は少ないような気もする。
田舎が全部が全部、みじめではないから。
アジアの貧しい国から出稼ぎに来るのとは事情が違う。
私は、たぶん郷里にいる方が、物質的には豊かに暮らせる、というか実家の人間は私よりリッチだ。
だけど、基本的に一人が好きだし、近所づきあいも苦手なので、都会の方が快適だ。
落とし穴ももちろんあるけれど、チャンスは比較にならないくらい多い。
ひりひりしながら生きていきたいので、ここがいい。
こういう性格の人が、若い人の中にもうんと増えているのかも知れない。
そんな現代の中で、音で繋がる関係って、どんなだろう。
私は、コーヒー豆を挽く音だの、歌だのが聞こえてくるようなアパートだと知った時点で引越しだな(笑)。
役者の力量の見せ所かと。
なんだかんだと言って、麻生久美子さんの出演した映画、かなり見ていると思う。
どろろ』『赤影』『キャシャーン』『怪談』『THE 有頂天ホテル』……。
そうそう、大河の『新選組!』では、阪本竜馬の奥さん、お竜さんだった。
ふんわりしてて、どこか母性的な役が多いように思う。
花屋さん……フランス留学……なるほどぴったりだ。

SPの映画化は、完全に企画が消滅してしまったと思い込んでいたけれど、どうやら制作に向けて動いてはいるようだ。
こっちは、脚本家の物語づくりの才能は認めつつも、差別に対するダブルスタンダードには正直うんざりしているので、期待は半分くらい、というところ。

また書くかも知れない。