舞台「巌流島」〜闘いの物語

先月27日に、横浜流星さんが宮本武蔵役で主演されている舞台「巌流島」の千穐楽となりました。2ヶ月にわたる熱演、お疲れ様でした。私は、2月末に金沢で観劇させていただきました。魂をぶつけ合うような素晴らしい舞台でした。横浜さんご自身も、2年越しの課題を完成させられた達成感と寂しさ、両方を感じられていられるようにお見受けしました。

ところで、宮本武蔵と言えば、2009年に井上ひさし脚本の「ムサシ」を観劇した際に、予習として吉川英治著「宮本武蔵」も読みました。続けて、それを下地にして膨らませたコミック「バガボンド」も全て読みました。この小説が、現代日本での宮本武蔵のイメージの原型となっている、と言われています。小説の武蔵は、力を求めて戦い続ける事に純粋でポジティブな人に見えました。つられて、心が躍りました。

でも、井上ひさしさんが描き、蜷川幸雄さんが演出した「ムサシ」は、命を的に闘うことへの疑問に真っ向から向き合う物語でした。正直に白状すると、小説でワクワクしていたところを、急に現実に引き戻された感じがして、落ち込んでその後しばらく「なぜ人は闘うのか」を考え続けていました。案外、井上・蜷川両氏の思惑にハマったのかもしれません。

確かに、戦うためにその能力を特化して、結果戦わずにいられない者達に、闘う理由・正当性を与えてくれない、彼等の存在意義を真っ直ぐに認めない、そんな時代は日本の長い歴史の中でも波のようにやって来ました。「穏やかな時代」と呼ばれる時代です。その中にあっても闘う能力を磨き続ける武道家たちだからこそ、哲学が結晶化したように思います。宮本武蔵の「五輪書」も然り。

「巌流島」の世界の剣豪たちは、闘う意味を苦しみながら模索していく存在に見えました。強い者を倒して有名になったり、士官して報酬を得ることを目指している多くの人たちとは、次元の異なる場所にいるのが分かります。構えがまず違うんですね。何か不動のものが身体を包んでいるような。そこまでになれる人は、強さを求めて生きてきた人の中でも、ひと握りなのでしょう。そうなると、魂のレベルまで分かり合える存在が、同時に最後に殺し合わなきゃいられない相手でもあるわけですね。決着がついた瞬間が、そのかけがえのない相手を永遠に失う時。それが闘い。不条理だと思います。終盤のここは、とても悲しいけれど荘厳なシーンでした。

でも、よくよく考えればあらゆるジャンルで、頂上決戦の敵こそが、原理的に自分の一番の理解者でしょう。と言うか、他の誰にも理解されない世界で2人きり、みたいな。切磋琢磨という言葉が示すように、競争原理の中に放り込まれて初めて爆発的に成長する能力もあります。不条理は闘いはじめる瞬間から、すでに組み込まれているという事ですね。単純に、穏やかな世界を求めることが善だと考えて来ましたが、何か重大な思考のミスをおかしてしまったようです。でもこれって、出口が見つかる気がしません。

宮本武蔵は、生涯行ったすべての戦闘に勝利しました。その圧倒的な強さが400年後の世にも伝わっています。同様に、歴史の中に強者たちの伝説が星の如くきらめいています。美しい人、才ある人の伝説も。人々が、個人の中に宿る純粋な力に、どれだけ憧れてきたのか、それでわかります。ただ、そんな風に生まれついて、人と違う人生を歩むしかなかった人たちの孤独にも想いを馳せるのは、意味のないことではないと思いました。

横浜流星さん、てっぺんにいる人の数奇な人生を生ききる偉業、本当にお疲れ様でした。ここからまた何かが新しく始まるんですね。ワクワクしながら、お待ちしています。

では