『ムサシ』感想~役者萌え篇

たっぷり感想書くぞ!と思う時に限って、四時間も残業だって。
でも頑張る。

その前に。『ムサシ』のキャスト・スタッフの皆様、お疲れ様でした。
短い休みをおいて、また大阪でもスタートしますが、どうか体調に気をつけて素敵な舞台を。

さてさて、物語の筋や諸々について突っ込んで語る「感想~演出家・脚本家萌え篇」は後日ゆっくり書くとして、今日は役者萌えに徹しよう。
そう、私はショートケーキのイチゴを最初に食べる。

この物語の中心にあるもの。斬り合い。
高校の時に剣道をやっていて、高段者同士の試合を何度か見たことがあるのだが、無駄な動きのほとんどない、一瞬で決まる勝負がほとんどだったと記憶している。
何度も切り結ぶような試合は、未熟なもの同士ならともかく、名人・剣豪の類ではありえない、ということだ。
小説「宮本武蔵」では、そのリアリティそのままの戦闘シーンが描かれていて、とても迫力だった。
そして、舞台「ムサシ」も、冒頭シーンから、その果し合いのリアリティがきちんと描かれている。
静かに夕日が照らす浜辺。
そこへ、だだっと走りこんでくる侍二人。二人ともすごい気迫。きれのある動き。
そして、あの有名な、巌流島の武蔵と小次郎の決闘のシーンへと続くのである。
武蔵は、倒れた小次郎にとどめを刺さず、手当てによっては助かるだろう、と言う。
原作に忠実なのはここまで。
この、小次郎はもしかして死なずに生き残ったのではないか、という仮定から話は膨らんでいく。
竹が、さわさわと回りながら舞台が禅寺へと変わって、物語は抱腹絶倒の井上・蜷川ワールドへ。

……それにしても、劇中で武蔵がくしくも言うように、まともに真剣を扱えるようになるまで六年くらいかかるものだそうだけど、藤原さん小栗さんの二人は、あまりにしっくりいってて、あやうく見過ごすところだった。
二人とも、この舞台のために、ものすごい努力をしたのね。
台本が上がってくるのが遅くて綱渡りだと聞いていたから、どこか差っぴいて見ていこう、という心積もりでいたけれど、良い意味ですっかり裏切られた。
剣と人の一体になった姿が、ふたりとも美しいこと。
なるほど、蜷川さんが言う、若い才能は限界を知らないようだ。

武蔵は、野生児という感じ。
実際の武蔵の書いたものの中に、「何かわからんが、勝ってしまった」みたいなことがあるそうだけど、そういう感じ。
ストイックな求道者。無口で、だけど時々ずばりとものを言う。
前へ前へ、というタイプではなくても、実はとんでもなく負けず嫌いなんだな。
これが藤原さんにあてられて書かれたというのが、個人的にはとても楽しい。
同じ役者にあてて書くのでも、ずいぶんいろいろ違いが出てくるものだと思う。
時々、小次郎をからかって言う言葉が、実はけっこう本質的なことだったりするのが面白い。
小次郎に「『おのれ』と『だまれ』しか言えない」とか。
オールナイトニッポン」のトークを彷彿とさせる。
藤原さんの普段の爆弾発言も、感受性の強い人の、結晶みたいな本質トークだったりするんだろう。
ああ楽しい。

小次郎は、原作からして、とてもスタイリッシュな人だ。
ほとんどナルシスト。
ナルシストの役をやって許されるのは、実際に様々な資質に恵まれた役者だけだと思う。
小栗さんは、立ち姿、動き、体中から発散する輝きが本当に素晴らしく、本当にはまり役だ。
ナルシストが、一番になる夢をくじかれた気持ち、というのが小次郎の気持ちのベースだけれど、
それが、同情しつつもおかしくて笑いが堪えきれない。
ぐちぐちした繰言が、妙に可愛くて、おかしい。
でも、小次郎ってば、本当はこう見えて親切な人でもあるのだな。
小次郎が、女性たちの敵討ちの剣の手ほどきをするシーン。まず足捌きを教える。
実際の剣道の稽古と同じだ。思い出した。
足の裏の皮が三回くらいべろべろに剥けるまですり足をやらないと、剣を持たせてもらえないんだよね。
このすり足が能の動きに見えてきて、次にだんだんタンゴのように見えてくる。
みんな大真面目な顔をしてやっているのが、逆におかしい。

それから……。
白石さんがすごいのは、前もってわかっていたはずだけど、うっかり全部持っていかれそうになるくらいすごかったぁ。
白石さんの狂言!おかげで生まれて初めて蛸に感情移入してしまった。

……時間切れになってしまった。今日はここまで。

つづく。