アワビと春雨、他いろいろ

『新・食わず嫌い王決定戦』なるものに藤原さんが出演したのが、動画に落ちていた。
何だか、今まで見たのと感じが違う。
リラックスしていない感じは、嫌いな食べ物を悟られないようにするため?
だとしたら、相当な負けず嫌いだわ~。
しかし、重大な事実を知ってしまった。藤原さんはアワビが嫌いなんだ!
アワビ。私の大好物である。
しかも、芥川龍之介の『芋粥』みたいな位置づけの「人生の節目に味わうべき、とっておきの大好物」である。

思えば、社会人になって入社したばかりの会社の、取引先の社長に「若い人にお寿司をごちそうする」と、そこそこいいお店に連れて行かれたときのこと。
「遠慮しないで何でも好きなものを頼みなさい」と言われて、思わず反射的に「アワビ!」と言ってしまった。
後々まで、「アワビ女」と呼ばれたのは言うまでもない。遠慮しないでって言ったじゃん!
大人が嘘つきだということは、社会に出る前にマスターしとかないといかんね。
そのアワビが嫌いなのか、藤原さんは。その藤原さんを、アワビ好きの私は大好き。
微妙な三角関係(違うよ)。

思い起こせば、好き嫌いのない私が、唯一口の中に入れることもできない、名前を聞いただけで胃が嫌ーな動きをする食べ物、春雨が、岡田くんの大好物だと知ったときもショックだったなー。
何ででしょうね。食べ物の好き嫌いと人間性は、あまり関係がない気もするのに。
隔たりを感じるのが、ちょっと寂しいのかも。

まあ、食べ物はまだいいとして。
問題は、もっとメンタルなものの場合、ショックが大きくなる。
岡田くんのときに、本当に困ったのは相田みつをだったけど、
藤原さんの場合は、長渕剛さんと『関白宣言』かぁ……あと、ギャンブルもダメだわ。
もっとも、私自身は長渕さんを嫌いではない。昔はアルバムをよく聞いたし、実は深夜ラジオも聞いていた。
ただ、長渕さんを引き合いに出して「男って素晴らしい、それに引き換えお前ら女ときたら」と言う嫌な人いたのでね。警戒するようになってしまって。
長渕さんが素晴らしいのは認めるにやぶさかでないが、そういうこと言う人は大体素晴らしくないんで。
……藤原さんの言う「好き」というのは、もっと真っ直ぐな気持ちのようで、ほっとした。

ここからはディープかつ、シリアスな話なので、そういうのが嫌いな方はここまでで。
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性差の話で、男性は女性よりもすべてにわたって優秀だと思い込んでいる人が多い。
男性のほとんど。女性でもそう思っている人がいる。
たぶん、岡田准一さんも、発言を見る限り、それこそが性差だと思っているようだ。
どれだけ反証をあげられても持論に固執するのは、それが論理ではなく、感情だからだ。
統計的な詭弁を用いた、女性に対する差別的で失礼な発言も、ここまで来たら止まらないかも知れない。
 それは例えば、怒りや機嫌の悪さを、女性は足音やドアを閉める音で表すけれど、男性はしない、などの言葉だ。
 元夫が、気に入らないことがあるたび、どすどす歩いたり、ドアを荒々しく閉めるのに、子供と二人でおびえて暮らした私などは、こんな言葉にいちいち傷つくのである。
 思いつきで、間違ったことを言っているのはわかるのだが、影響力がここまで大きくなった人が言うのは、罪が深いと思う。
……こんな風に、そこから起こるトラブルもずっと続くだろう。
よくあることだ。
嫌いにはなれないのだが、表現者として応援するのも、もうそろそろ私の気持ちに無理が生じてきた。

ところが、実際はIQに限って言えば、男性と女性で平均値がほぼ同じくらいになるのだそうだ。
言語と非言語に対する知的能力には性差があるので、テストの作り方によっては差も生じるらしいが、それも誤差の内に収まるそうだ。
ところが、標準偏差は男性の方がずっと大きい。
それはどういうことかと言うと、極めてIQの高い人は、男性の方が女性より多い。
ところが、極めてIQの低い人も、男性の方が女性よりずっと多い、ということだ。
女性は男性より、平均値近くに固まっている。
そして、男性は女性よりも極端なのだ。

私は、子供の頃に受けたIQテストで、99パーセンタイルに入ったのだそうだ。
父親が「百人子供がいたらトップ」とはしゃいでいたのを覚えている。
推定でだいたい136以上くらい。ちなみにこれが千人にひとりくらいのレベルだと145以上、だったかな。
長じるまで、私はそのことを誰からも知らされることがなかった。
ただ、父親が「調子に乗ったらいけないから教えない」と本人の前で言っていた(苦笑)。
でも教師は私が知らないことを知らない。
勉強は大好きなのに、学校というところが嫌いになった。
具体的なことを並べると愚痴っぽくなるのでやめとくが、ともかく教師とはいろいろあった。
教師たちが私に言いたいことはすべて次の文に要約される。
「男って素晴らしい。それにひきかえ女ときたら」だ。
それをことさらに言う心理を理解しようとは、もう思わない。
論証されない言葉は、誰が言おうとただの放言に過ぎないからだ。

ただ、振り回されて無駄な時間を費やしてしまった。
そのリターンマッチは私の長年の悲願である。
こうした一連のことから、私が拾い続けてきた武器を、ぜひ次世代の女性たちに渡そうと思い続けて、そして待望の女の子が生まれた。
放っておいてもよく学ぶ子なので、それが生きるような社会になって欲しい。
まあ、私が騒ぐまでもなく、女性だからというのではなく個人の能力で判断していこう、という潮流は、私が社会に出た「あと」に起こってひたひたと進行している。
格差社会は、むしろ女性を後押ししてくれる気もした。

これらの事実を知って思ったこと。
世の中に素晴らしい活躍をする男性が多いことを論拠にして、男性は女性よりも常に上位にいる、と立論するのは、間違っているし、不当な差別のもとだということ。
個人のそれぞれの能力や努力が等しく認められ、生かされる社会でなければ、どうして幸せになれようか。
そうやって個人個人が生かされてはじめて、その総量としての社会だって、もっと良くなるのではなかろうか。
押し付けられた幸せなどは、不幸の上にペンキを塗りたくっただけのしろものだ。
それらは、間違った社会通念の上に成り立っている。
だから、それを変える動きにもっとはずみをつけたい。

……藤原さんは、才能があり努力もする魅力的な人が好きなようだ。
しかも、そこには性別によるバイアスもないようだ。
もっと言うならば、人間としての好き嫌いを、恋愛感情と混同して論じないところが素晴らしい。
つまり、女性を人間だと思っている、ということ。
誰からも愛されて、当然かも知れない。
藤原さんを応援して、もっともっと上へ押し上げることは、翻って私の悲願を成就することにどこかで繋がるかもしれない。

寝つけなくて書いた文なので、かなり変な文になっていると思うけれど、その点はさっぴいてください。