DVD>映画『SABU』、本『さぶ』

これは、秋に映画をDVDで見て、速攻で文庫本をアマゾンで取り寄せ、娘と私でそれぞれ一日で読んでしまったものだ。
時代物なのに、すいすいと入ってきた。
感想、書こうかどうしようか迷ったんだけど、覚書としてちょっとだけ。

『さぶ』の実質的な主人公は、さぶではなくて栄二の方だ。これが藤原竜也さん。
経師屋の職人として将来を嘱望される若い栄二は、ある日、出入りの大店で盗人の濡れ衣を着せられて、人足寄せ場に送られる。
気持ちがすさみ、復讐しか考えなくなった栄二を、幼馴染のさぶや、許婚のおすえや、寄せ場同心の岡安が支える。
本で読むと、栄二というのは能力はずば抜けて高いんだけど、その分コミュニケーション能力が低い人なのがはっきりする。
人にあわせず、自分のルールで動く。でも、女の子にモテモテ。今の世にもいそうだ。
確かにね、ここまでいい男だったら、冷たいところに逆に惹かれてしまうかも。
そんな人が、寄せ場に送られた経験によって、次第に変わっていく。

ただ、本の中で特に強調されていたのは、栄二は一流になるのが約束された人だけど、その一流を支えるたくさんの人がいてこそだ、と。
その筆頭がさぶ。のろまで愚図と言われるけれど、さぶの作ったのりは誰にも負けない。
のりで一流になることはできないから、さぶが一流と言われる日は来ないけど、栄二が腕に相応しく一流の経師屋になるためにはさぶが必要なんだと。
強い自分がすべての弱い者を護っていると思うのは、思い違いなんだと。
こういうところは、身につまされて、ついつい感動してしまうなぁ。

超優秀な職人というところ、藤原さんはリアリティある。目がいいから。
愚図なさぶが妻夫木さんというのは、かなり脳に負担をかける変換が必要だったけど。
それでも、原作の雰囲気そのままのドラマになっていたと思う。
少し時間をおいて、もう一度見てみたくなる。そんな映画だ。


ところで、まったくの余談になるが、最近妙なことに気がついた。
いや、年がら年中、妙なことに気がつく体質なんだけど(汗)。

作家や翻訳者などの物書きを職業にしている人たちには、人の顔を覚えるのが苦手な人が、一般の人たちよりずっと多いような気がする。
映画化などに絡んだ、作家の方たちのインタビューを長年読んできて、同じようなことを言う人がたびたびいる、と気がついたのだった。
言語中枢と人間の顔を認識する中枢は、近い場所にある、ということを近年知った。
そうしたことと何か関係があるのだろうか。
つまり、言語を操る中枢が鍛え上げられた挙句、人の顔を認識する中枢に干渉しているとか。

また、もうひとつ妙なことに気がついた。
演技者の中には、匂いに妙に敏感な人が多いような気がする。
「香水がダメ」と、何人の口から聞いたろうか。
食べ物が嫌いになる理由に、「匂いがきついから」という理由をあげる人も多いように思う。
関係があるのかないのかわからないけれど、演技性人格障害者には、異常嗅覚の人が多いのだとか。
つまり、「演技する」中枢の肥大は、嗅覚の中枢に干渉するのではないか、と。

また、アーチストには、共感覚を持った人が多い。
そこあるのは、やっぱり突出した中枢の他への「干渉」だと思う。
だから何だと言われると、またまた困ってしまうけど、何やら理系の血が騒ぐ。
こうしたことをいろいろな角度で徹底的に研究すると、すごく面白いものが見えてくると思うし、
それを応用した画期的な教育法もできるのではないだろうか。

本当にまったくの余談でした。