本>『良心をもたない人たち』他2冊

勝間和代さんの『起きていることはすべて正しい』の中に紹介されていたので、読んでみた。


少し前に、『大正四谷怪談』の感想文に、きれいな顔をして罪悪感を持たない殺人者について書いたのと繋がる内容の本だったので、見えない何かに導かれているような感じを持った。かなり衝撃的な内容だ。人間は誰だって多いか少ないかの差はあっても良心を必ず持っているものだと疑いもしなかった。だけど、まったく持っていない人、いた。サイコパス、という言葉を本書で初めて知った。名前がついている、ということだけでも、何かを既に表している。だけど、『大正四谷怪談』の感想の時には、何万人に一人くらいの割合だろうと推測したのが、まさかアメリカ人の4パーセントもいるなんて。アメリカには、三億人の人がいる。つまり、アメリカにはサイコパスが1200万人もいるってことになる。どっと疲れが出た。
日本人は、社会的な条件のためか、もっとずっと少ないそうだ。少しは希望を持っていいんだろうか。

ふっと、サイコパスが象徴的にあらわれているお話があるのを思い出した。ミヒャエル・エンデのファンタジーはてしない物語』に出てくる架空の国ファンタージェン国は、現実世界を引き写した空想の世界である。そこに出てくるものは、現実の何かに対応している。たとえば、体があちこち欠け落ちた木の精のトロルは、環境破壊で枯れかけた森を象徴している、とか。さて、中に人狼グモルクという生き物が出てくる。彼はファンタージェン国の殺戮者だ。生けとし生きる者たちがすべて生命に向かっている時に、彼だけは破壊に向かう。彼自身の口から、彼は現実では人間の形をしているが、実は人間ではない、と語られる。一体、エンデは何を指して言っているんだろう、と思ったけれど、それはサイコパスのことだったのだ。エンデが少年だった頃はナチスドイツがやりたい放題やっていた時だったから。

最初、この本を読んで、自分がサイコパスだったらどうしようと思って怯えたのだが、娘が、本物のサイコパスは自分がサイコパスであることに傷つきも怯えもするはずがない、だって罪悪感も良心もないんだから、と言った。その通りだ。そもそも、サイコパスに共通してあるカリスマ的な魅力なんて、私にはないもんね。ひと安心だ。

読んだ後、アマゾンで「おすすめ本」として
『モラス・ハラスメント』
『あなたは変われる』
が紹介されていたので続けて購入、読了。

嗤う伊右衛門』で学んだ、対人関係についての、「自分を基準にした思い込み」が、どれだけ間違っていて、あまつさえ破壊的な危険に満ちているか、それを知る良書である。
だけど、ひとつだけ思うこと。自分がもしかして加害者だっただろうか、と思うのは怖い。
それにも増して、被害を受けたかも知れない、特に虐待されたのかも知れない、と思うのは怖い。怖くてつらい。
だけど、避けて通っている限り、何の進歩もない、そういう種類のことだろうと思う。

ま、人から嫌なことされたら、黙って我慢してちゃダメ、何か対策を立てなきゃ、というのが結論かと。