DVD>ドラマ『新選組!』

本当は、舞台の『大正四谷怪談』の感想を書く予定だったけど、昨夜とうとう『新選組!』を最終回まで見終えたので、感動が冷めない熱い内に書こうと思う。TUTAYA DISCUSでずっと借りて見てきたけれど、ダイジェストのDVDボックスはぜひ買おうと思う。藤原さんのファンサイトをざっと見ただけでも、『新選組!』は見なくちゃだめ、という熱い思いがひしひしと伝わってきた。しかも、沖田総司のところだけをピックアップして他のところを飛ばすのではなく、全部通して見ることをお勧めする、というアドバイスがあったので、その通りにしてみた。いやあ、的確なアドバイス、心から感謝します (はて、どこに向かって言っているのやら)。よいしょするつもりはまったくないんだけど、聡明なファンが多くて、11年分をできるだけ短期間で埋めるちょっと無茶な計画が、おかげさまでいい感じに進んでいる。ありがたいことだ。

ところで、『新選組!』だ。本当を言うと、新選組というのは、具体的に何をした人たちなのか、あまり知らなかった。池田屋の事件はさすがに有名だから、志士を弾圧した組織、くらいの認識はあったけれど。でも、これでよくわかった。
物語の登場人物ひとりひとりに恋をして、お話の終わりにみんなにさよならするのがこんなに切なく悲しいなんて、本当に何年ぶりの体験だろう。昨夜二時に見終えたときには、喪失感でなかなか寝付けなかったくらい。物語がただ終わるわけではなくて、主人公の死で締めくくられるから、この喪失感には身近な人をなくすのと似たものがある。新選組は、史実では負けて散り散りになってしまったわけだし、主だった人たちの多くが若くして死んでしまった。あらかじめわかっていたことなのに、物語的なご都合主義を期待してしまうなんて、私はなんて根性なしなんだろう。それでも思った。滅びの美学が日本人の魂の根底にはある、というけれど、確かに自分の中にもそれがあることを自覚する。歴史的勝ち組の話だったら、ここまで好きになれなかったかも知れない。自分の人生を賭けて、そして敗れていった人たちの物語に、ずっと感情移入できるのは、まだ自分がきちんと勝ったと思えることがないせいかも知れない。賭けて、がんばれたのが、既に勝っているんだと、誰かに力強く言って欲しいんだと思う。

歴史的に誰が勝つかは、あるいは偶然に過ぎないのでは、と最近思う。それは昨今の歴史物を貫いている風潮の影響もある。ただ、、これが頭に飛来するたび、拒絶する自分もいる。何年か前まで、歴史というのは、冷たく動かない岩のようなもので、天地開闢からずっと決まっていたシナリオ通りに動いてきたように漠然と感じていたからだ。ちょっとした違いによって、歴史は大きく変わってしまっていたろう、とは怖くてなかなか受け止めにくい。私は、たぶん過去への後悔と、見えない未来が怖くて、時の流れにありもしない安定感を求めていたんだろうと思う。

男祭りをするなら、ここまでやらないと。新選組に属しているどの人も、自分の「男」に酔ってないところが素敵だ。いや、むしろ不安定な時代に、どうやって生きていったらいいか……激動の時代に男性に生まれたら、この切羽詰った課題にそれぞれが否応なく立ち向かうしかなかったんだと思う。それまでの二百年が、ぬるま湯だったというのに、幕末の男性たちの活躍のすさまじいことはどうだろう。特に若者が。それだけ、黒船ショックは大きかったということ、だろうか。この時に、若者として生を授かってみたかった気がする。それがたとえ短い人生であったとしても。

巷の沖田人気が高いのは、天才剣士であることに加えて、労咳で27歳で夭折した、という数奇な運命のせいだろう。ドラマを見ていて、この人にはずっと生きてて欲しい、と祈らないではいられなかった。無邪気で可愛くて、自分の力を楽しんでいた総司が、不治の病を宣告されて、別人になったかのように生き急ぐところを見て、タイムマシンでストレプトマイシンを届けてあげたい、と。……人斬りなんだけど……。総司が、死が近くなっていろいろな人と語らったり、自分が喀血した地溜まりの中からアリを救って、逃がしてやるシーンを見ていて、思ったこと。この人は、死なずに、おみつさんの言う「しわしわのおじいさん」になっていたら、それまで誰も見えなかった何かを見出して、世の中をもっと良く変えていたろうな、ということ。

印象深かったこと。

その1。総司の病を知らない平助が、「みんながあなたみたいな人ばかりじゃない。がんばっても上達しない人だっているんだ」と言うところ。……藤原さんの怒る演技、本気で怖い。羽交い絞めがちょっとセクシー。細かい。……ずっと前に、私も「人間がみんな、あなたみたいに強い人ばかりじゃない」と言われたことがある。言われて、こんなにやるせない言葉はないと思ったので、総司には同情する。まるで、こっちが傷ついたり苦しんだりしていないかのような言い草だが、それは違うぞ、と。藤原さんも似たようなことを言われた経験が、ひょっとしてあるんじゃないだろうか。単なる憶測だけど。何となくそう感じて、後々まで心に残った。

その2。総司が、芹沢さんに「赤ん坊の目だ」と言われ、お梅さんから「きれいな目やわ」と言われ、はにかんでいるところに、芹沢さんに「この目にできるだけ汚れたものを見せてやりたい」と言われて、表情を変えるシーン。ははん、こういうやり取りで、実は二人は女の取り合いをしているのね。やあねえ男って。二人とも、相手が自分にないものを持っていることにコンプレックス感じているからって。

その3。総司の口から何度となく出る「子供」というキーワード。自分ばっかり子ども扱いだとすねるところは、まさしく子供だ。「平助は子供だな」と言う総司に「あなたもね」という突っ込みを入れてみたりする。油小路で平助が新選組と戦っていると聞いて、「あいつが逃げるわけないでしょう。あなたたちが思うほど子供じゃないんだ」と言うけど、平助の戦っている時の泣きそうな顔が、どう見ても子供のようで悲しくてならない。自分が子供か子供じゃないかを気にするのは子供だけ。

その4。三谷さんは、それぞれの人にあてて書いていて、スタジオにも頻繁に来て、それぞれの人を見て脚本に反映させている、と伺った。それではたと思ったのだけど、「なんでxxなんですか」というのは、ひょっとして、藤原さん自身の口癖ではないだろうか。しかも普通は「なぜ」という問い立てをしないことで明るく言うところ。とても魅力的で、私は好きだ。三谷さんは、『古畑任三郎ファイナル』での藤原さんの台詞にも、とても印象的にその口癖を取り入れている。

いろいろ書いたけれど、総司にまつわる印象の多くは、その天分の人並みはずれて優れていることと、素直で優しい人柄や年齢相応に少年ぽいところのミスマッチから来る。演じている藤原さんの印象とダブるところがある。だから何だと言われると困るけど、総司に限らず、登場人物ひとりひとりが個性的で、魅力的だったのが、このドラマの際立ったところだと思う。見終わってしまって寂しい。次が待ち遠しい。