『ニック・オブ・タイム』DVD

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これは、『ケ・セラ・セラ』の大ヒットで知られる、ヒッチコックの『知りすぎた男』のリメークだそうだ。ヒッチコック得意の、主人公の「巻き込まれ」物語である。それを『アサシン』のジョン・バダム監督がメガホンを取っている。絶対に観客を飽きさせない代わり、チープさがぬぐえない……という評価もある監督だけど、ジョニー・デップを主演に据えての手に汗握るサスペンス、かなり贅沢な感じがして、今週末はかなり充実した感じで締めくくられた。

『The有頂天ホテル』で、実時間と映画の時間の流れが同じ、つまり、上映時間が120分なら、映画の中の世界もその流れに沿って120分の間の出来事を映し出す、という映画を堪能したわけだが、『ニック・オブ・タイム』もまた、その方法で作られている。この方法って、見ていて意外に楽だ。時間が飛ぶと、どこか疲れるものなんだろうか。オープニングに、銃のディティールに続いて時計の内部が映し出され、それが大きな建物の時計へと変化するシーンは、そんな映画の性質を的確に表していた。そう言えば、映画の中でさまざまな時計が映し出される。そして、娘を人質にとられて殺人を強要される主人公にとって、リミットが刻々と迫っていることを、その時計たちがいらいらとした態度で迫っているような、そんな印象を受けた。爆弾処理のように。そして、何とか殺人をせず、娘を助け出そうとする主人公の前に何度も現れる脅迫者。もう、あの冷たい青い目、悪夢に見そうだ。

「怪談」の「むじな」に、のっぺらぼうにあって逃げた旅人が、蕎麦屋にかけこんで「化け物にあった」と言うと、蕎麦屋のおやじさんが「それはこんな顔でしたか?」と振り返る、というのがあるが、あの恐怖と同じものを途中、何度も感じてしまった。だけど、八方ふさがりのそんな中、主人公と娘とターゲットの三人を最後に助けてくれる人がすべてワーキングプアの人種層だというところが、「ターミナル」を彷彿とさせて、ちょっと主張を感じた。

黒幕の本当に悪いやつは、一人だけ無傷で逃げちゃう、というラストはやっぱりむかついた。「なんで?」って。こういうラストって、やっぱりひとつの「投げかけ」なんだろうか。しかし、この世はまったく銃さえあればどんな悪事も自由自在だと思った。