『X-MEN ファイナル ディシジョン』

見てきた。テレビでアニメの放映をしていた頃に、少しはまって、パソコン通信のボードに熱っぽく書いたことがある。SFのアイテムとしてミュータントというものを考えたとき、作者が人間性とか能力をどう捕らえているか、それが現れていくわけだが、その点でとても斬新で成功していると思った。ちなみにその時に一番気に入っていたキャラクターはローグだった。他人の能力を吸い取る超能力、ということであれば、これは一般に言われる力よりもっと広い意味の力までも、超能力として設定している、という点が新しいと思う。他者との係わり合いの中で、はじめて意味を持つ能力、というと、昨今注目されているコミュニケーション能力と同じ発想をそこに感じる。
今回は、接近した他者の超能力を無化するミュータントも出てきた。面白い。

さて、ミュータント物のSFはあまたあるけれど、異質な者、特に飛びぬけてすぐれたものに対する、大衆の悪意を陰惨に描いたものが多い。X=MENでは、黒人解放運動を下敷きにして、この物語を作った、と製作者が明言している。人類との非暴力の共存を主張するプロフェッサーXはキング牧師、もっとラジカルに解放を推し進めようするマグニートマルコムXがモデルだと。それにしては、マグニートの悪役ぶりは、けっこう醜悪な感じがしてしまった。これがまた悪そうな人なんだ。従う部下たちも、残酷だし、ワルっぽい感じがきつかった。だけど、差別問題にまつわる闘争というのは、こういう図式がパターン化しているんだろう。一回、破壊行為に手を染めると、エスカレートするんだろうな、と。

さて、武闘派ミュータントのウルヴァリンが主人公なわけだが、どうも野蛮な感じとか、ぼろぼろになるほどにセクシーな感じとか、こりゃ、西部劇だな、と思った。つい、うっとりしてしまう。いかんいかん。ハル・ベリーのストームをはじめ、女性の武闘派のアクションシーンも見所満載。楽しい。CGもすごい。

しかし、アニメの時からの中心的キャラのジーン・グレイの結末は、ネタばれになるから詳しくは言えないけれど、ファンにとってはかなりショックだろう。史上最強のミュータントの女性であれば、女神のような人であって欲しい。まあだからこそ、シンプルな勧善懲悪で終わらない、厚みとなってもいる。

911以降のアメリカのヒーローものって、「力と責任」という点を強くテーマにしたものが多い気がする。