物語考>お伽話のジェンダー

日本アカデミー賞の授賞式、拝見しました。とても感慨深いものがありました。新しい切り口のお話の数々に、人間の創造力に限界は無いんだな、と。それを手触りのある感覚まで導いてくださる方達への尊敬も高まります。

物語は時代とともに移り変わっていくものですが、昔話としての童話すら骨組みは変わらないまでも少しずつ時代の影響を受けるようです。ディズニーなどはそれを意識して作っているようです。登場人物にキャラクターという肉付けをたっぷりして。

昨今、人間観の変化として特に大きいのは、性自認と恋愛対象の性について、があると思います。LGBTQへの理解が深まりつつあって、法整備もあと一歩というところまで来ています。それらをテーマにした物語もたくさん作られました。

性的少数派が、かつて異端や狂いとみなされていた時代をよく覚えています。自分自身「女は女らしく」の締め付けに悩んだ者としては、本当に時代は良い方向に一歩一歩向かっているんだな、と強く感じます。この点だけは間違っても「昔は良かった」なんて思いません。

私が自分の性に初めて違和感を抱いたのは、保育園で集団生活をするようになった時に遡ります。まず、人形がダメでした。女の子たちがするお姫様ごっこもどうしても嫌で、付き合いで参加する時には王子様役一択でした。大人たちから変わった子だと言われるたびに、優劣両方の感覚が入り混じりました。でも本当は、お姫様よりマシとは言え、王子様にも違和感はあったのです。あの感じ。現代の性に対する認識の確立によって、ようやく説明ができるようになりました。「どっちかじゃない」です。これに尽きるのです。

後々になって、自分が本当にやりたいのはシンデレラ系物語世界でいうところの「援助者」だったと気がつきました。妖精、魔法使い、精霊、仙人、です。「何を考えているか分からない」とよく言われるこの顔との相性ともぴったり。

魔法使いは、シンデレラを美しくしたのではなく、この子の持つ美しさを「わかりやすく」しただけです。シンデレラを真の幸福に導いてくれる相応しい相手は他にいるので、そのお膳立てをしただけ。超常的な魔力なんぞなくても、知識と財力でこれはできます。しかも、役割の性質として、姫&王子とは異なり「性別は特に意味がない」のです。なんて素敵。

ファンタジー、現代劇問わず登場する「援助者」は、一典型として「能力はあっても利得を求めない」タイプの変人があります。群像劇の中によく、1人斜に構えているけど、いざとなると活躍するキャラクターがいますが、あの立ち位置です。そのポジションは選んでなったわけではありません。そう生まれついたのです。よく分かります。

魔法使いは、つまりは良い仕事をする人、すべてに当てはまります。仕事は基本的に他者に利して対価を受け取る営みです。そして一部を除いて、仕事に性別は関係ありません。これを言うとすぐに反発する人がいるんですが、そんな人には図面を見せてそれを書いた人の性別を当てるクイズをしていただきましょう。外したら罰ゲームは逆さ磔で(笑)。私の経験と照らしても、勝てないと思いますよ。

冗談はさておきそんな訳で、純粋に仕事する人でいることは、私が私でいることと同義でした。何しろ、私がこの仕事に就くことを決めたのは、この保育園の頃でしたから。でももう、性別でとやかく言われるのも疲れたし、自分の仕事が誰かの役に立っているとも思えなくなっていたので、長い休暇もやむなしです。

シンデレラの魔法使いは、「その後」どうしたでしょうか。また新しい課題を見つけて、新しい物語のきっかけを作っているはずです。なぜなら、そういう風にできているから。私も、自分でいられるものを新しく見つけられたら、と思います。

新ドラマ、その点、期待して待っていたりします。仕事のヒント、ください。

主人公2人は、姫と王子ですねえ、ビジュアルから言っても。でも、川口春奈さんも横浜流星さんも、力がいい感じに抜けてるのにただ者じゃない感あって、さらに良いですねえ。お互いの何をどう好きになっていくか、仕事との関わりはどうなのか、楽しんで見させて頂こうと思います。

 

ところで全くの余談になりますが、物語のモブはどんな感じに配置されるでしょうか。声に出して言うとえらい事になるのでアレですが、シンデレラになりたがる割に、キャラクターが軽微に継母&継姉という人、少なくないですね。ヒーローになりたがる割に、キャラクターがモブの小悪党、という人も。グループに属してしまったら、物語のような鮮やかなヒーロー、ヒロインにはなれないのだから、ここは選択の問題でしょう。最近は、物語の嫌われ役をひとりに負わせるのはむしろ流行らなくなっているようです。

物語では、昨今のネットリンチが散々取り上げられています。お伽話のヒロインの苦境を現代に置き換えたら、やっぱりこれでしょう。愛すべき主人公はほとんどリンチ「される人」で、「する人」ではありません。みんな、頼まれもしないのに、赤の他人をこんな「美味しいポジション」に据えるために時間を費やすなんて、なんかすごい。このヴィランの役だけは、付き合いであってもごめん被る、と思う次第です。

 

今日はここまで。

では