『ゲド戦記』世界のバランスということ

ゲド戦記』の予告編の第二段が出た。映像が心地よい。テルーの歌が脳内を自由に駆け巡り始めた。
そんな『ゲド戦記』鑑賞の予習として、今、調べ物をしている。

原作者のル・グウィンは、両親がインディアンの研究者だったと聞いた。なるほど、その影響を受けて、物語が次々と紡がれていったのだな、と合点がいくところがいっぱいある。インディアンが持っている、自然との調和をはじめとする、高度のバランス感覚や、すべての物事にいのちやこころを感じるセンスなどが、物語の細部に息づいている。

そのインディアンと言えば、ルーツをたどれば、一万年前に北米大陸の北端の海峡を渡り、それからたった千年で大陸を縦断して南端にまでたどり着いた人類の末裔だ。彼らはそのイナゴのような移動の過程で、アメリカ大陸の大型動物の7割から8割を、乱獲による絶滅に追い込んだ。人類が戦略として掴んだ知性が、いかに圧倒的な破壊力を持っていたか、ということだ。強い戦略は、同時に自分をも害する刃になるから、進化はゆっくりじっくりバランスを取りながら進むのだが、時々、それに失敗して淘汰されてしまった種もある。生態系を変えていくことは、その種にとってもハイリスクだ。人類の知性は、どうやら『知恵』という形でバランスとりに成功したようだった。……文明が爛熟するまでは。

力任せに、むやみに食べ物を自然から奪い取れば、自分たちの内なる自然たる命も、いつか奪われる時が来る。インディアンは、それを千年かけて学ばなければならなかった。更に危機的状況にある今、現代文明が抱えている問題を解決するには、あまり時間がたくさん残されていないような気がする。……でも、私たちにはメディアと、イマジネーションと、創造があった。

ゲド戦記』は、「そういうお話」、なんだろうか。あえて原作を読まずに、まっさらな気持ちで映画を見てみたい。見て、何を自分が感じるか、感じられるか、試してみたい。