ドラマ「#着飾る恋」第6話

「#着飾る恋」第6話、見ました。私がずっとハマって見ていたら、娘が途中から配信サービスも使って追いかけてきて、昨日やっと追いつきました。シェアメイト、全員ムズムズするほど可愛い、だそうです。恋愛談義もしました。

娘と恋バナするのは、何も材料がないとお互い地雷原を歩いているような感じになるので避けているのですが(私はバツ2、娘はアラサー彼氏なし)、物語をはさんで恋愛について語るのは楽です。「#着飾る恋」には、「こんな人いないよ」という聖人君子も邪悪な人も登場しないので、身近な問題として語れます。

物語の中では、女性陣が意思表示をしてぐいぐい行くのに対して、男性陣はあまり主導権を握りたがらないソフトな人ばかりです。「男の人って、こうだっけ?」と言うと、娘が「最近は草食男子が台頭してきてて、強引な人ばかりではないでしょ」と言います。ほほう。力ずくとか気持ちの押し付けは論外だけど、「自分はこう望んでいる」ときちんと伝えるくらいはして欲しいものです。

ましてや、葉山さんも真柴さんもまだはっきり気持ちを表明したわけでもないのに、勝手に身を引こうとする駿くんは、論外中の論外でしょう。何も、バッティングセンターに行ってまで、ふっ切ることもないでしょうに。ああもどかしい。

しかし、シャチ社長は強烈ですね。博識で親切で洞察力も信念もあって、それでいてどこか抜けのある無邪気な人、とか。無敵ではないでしょうか。こんなチャーミングな大人の男性が現れたら、駿くんでなくても闘う前に負けを認めたくなろうというもの。

問題は、真柴さんの中で、2人の男性がどういう位置づけにあるかということです。シャチ社長は「憧れの人」。駿くんは「自分にない物をたくさん持ってる人」。どちらも「好き」の範疇なのでしょうが、それが恋愛感情なのかどうかと言えば、「憧れ」というのは違う気がします。

普通に誰かに恋をした時、「素敵な人だ」と感じたとしても、「その人のようになりたい」とは思いません。つまり「対象として」好きなのです。自分にない要素が愛しいのです。

それに対して、誰かに憧れる、というのは「自分もこういう人になりたい」という渇望を伴います。誤解を恐れず言うならば理想化した自分自身の像、と言えるのではないでしょうか。

個人的な感想ですが、憧れの人とは恋愛できません。ましてや結婚なんてできません。距離が近づき過ぎると、人間だからダメな部分も見えてくるかも知れません。憧れの人は理想化した自分なので、それに耐えられなくなると思うのです。仮にダメな部分がほとんどない人だったとしても、今度は反射で自分がみすぼらしく見えて来るように思います。なぜなら、憧れの人は、おそらく自分と資質が似ている「上位バージョン」の人だからです。

駿くんを選んだ真柴さんの判断は、とても正しかったと思います。

でも、ようやく真柴さんの「道」が見えてきましたね。2人の男性のアシストで、それが開けていくなんて、強運の持ち主だと感心します。羨ましいです、この流れ。

駿くんの「行きたいところに行き、見たいものを見て、やりたい事をやれ」というのは、シンプルにして最高のアドバイスだと思います。駿くんの語る言葉は、真柴さんへの愛情をベースにして、内側から出てくるから力強いですね。

葉山さんの言う「『いつか』を今始める」についての長い語りも、沁みます。

それもこれも真柴さんが今までコツコツ努力してきたからでしょう。これからバイヤーとして生きていくのだとしたら、どんな形がベストでしょうか。いよいよ私の知りたかった「仕事のヒント」が掴める流れになってきました。

それにしても、新社長は、葉山さんや真柴さんが手掛けたものを評価していないような振る舞いが多くて、対立しているのだとばかり思ったら、味方だったのですか。誤解してました。私の駆け出しの頃の会社でのお家騒動が、社会的にデフォルトだと思い込んでいました。新社長はアイデアを自然に葉山&真柴ペアの物にできるように配慮していた、ということ? 

来週は初島が舞台になるということで、真柴さんの活躍が楽しみです。

 

今日はここまで

では