物語考>断捨離とミニマリスト〜「#着飾る恋」

巷では連休だそうです。ツツジと藤が見ごろないい季節になりました。連休明けの平日に三溪園に行こうと計画する、非雇用者の母娘なのでした。

さて、「#着飾る恋」のミニマリストの駿くんは、いかにしてミニマリストになったか、2回目で分かりました。1回目にはるちゃんが言った「全部捨てても、何もなかった事にはならない」という言葉の意味も分かりました。

巷のミニマリストたちは、どういう経緯でミニマリストになったのか、ドラマがそれぞれありそうです。自分リセットが多いのでしょうか。

ミニマリストである事で、駿くんの素敵さはむしろ際立っています。実生活でも横浜流星さんはミニマリストでいらっしゃるとのことで、求道者のようで素敵です。

持っている物をすべて捨てても、駿くんの脳の中には、最高のスペイン料理を作るための仕入れからの知識がすべて詰まってて、それは捨てることもできないし、誰にも奪われることもないってこと、ですね。普段意識しないけれど人間の脳というのは、すごい物体だと感心します。1400ccしかないくせに。これが、ひとつとして同じものがないってことが奇跡的で、愛するに足る理由というやつ、なのですね。

ところで、私も分類するとミニマリストに入ると思います。以下自分語り。「いかにして私はミニマリストになったか」。

この世に断捨離という言葉が生まれる前、今から30年前に、本と衣類とパソコンだけを持ち出して、1回目の結婚相手から脱出したのも、一種の断捨離と言えるでしょう。この時、夫だけではなく、娘以外の肉親と、大学以前の知人友人すべてと絶縁しました。「卒アルを持ってない」というのがミニマリストあるあるだそうですが、私もその時にすべて捨てました。

人間関係の断捨離は、物を捨てるより勇気がいります。人間は、他では置き換えができないかけがえのない存在ですから、後で買い直すわけにもいきません。なのに、物と同様、捨てて後悔したものがひとつも無いのが我ながらヤバいと思いました。それまで自分を押し殺していた事に初めて気づいたアラサーの私でした。

巷に断捨離が流行した頃、7年前ですが、引っ越しを機に再びやってみました。今度は、本を大量に捨てました。本だけは絶対に捨てられないと思ったのに、「ときめくか否か」を基準にしたら、大して残らなかったし、捨てて後悔した物もひとつもありませんでした。物心ついた頃から本は大好きだったけれど、それ以上に依存と執着の対象だったんだな、と、やっと自分でもはっきりしたミドル50代の私でした。遅っ!

こういうのを体験したから、駿くんの「俺が見えるようになった」という言葉がとても刺さります。駿くんのほどの人でも、そうなんですね。人並外れて優れた人にはその人なりの悩みや葛藤がある事は、もっと理解されて良いと思います。これは憶測ですが、天才的な若き料理人でスポンサーもつく恵まれた駿くんに嫉妬した人は大勢いたと思うし、彼の躓きを過剰に揶揄する人もきっと多かったでしょう。本来ならそれに対抗するのは、ファンです。推しが潰されたら、推し本人以上に不利益を被るのだから、闘いますし、必ず勝ちます。駿くんは、自分をひとりだと思ってますね。まずは真柴さんは、ひとりで10万フォロワーくらいの優秀かつ強力なファンなので、いい出会いだったね、ということで。

真柴さん自身は「コレクター」ですね。物や情報を集める事に才能と情熱のポイントがあるし、それが全体として秩序がある、というところが素敵です。ものに対する確固たる審美眼があるからでしょう。汚部屋でもないのに、駿くんの言う「カオス」は不当な言いがかりかと。「あなたにこの部屋にある秩序が認識できないだけだよ」ってね。

しかし、川口春奈さんは綺麗な色がめちゃくちゃ似合いますね。ピンクもグリーンもブルーも、彩度高めの難しい色を美しく着こなしていらっしゃって。背も高くて、手足も長くてすらっとしてるからでしょうか、デザインされた服も自然に似合ってます。素敵。ひょっとして、川口さんを主役に置いて初めて立ち上がった物語なのでは? だとしたら、とても良いです。曲先ではなく詩先の歌のような独特の愛しさがあります。

それぞれの美点が異なるのが人間の面白いところなので、登場人物たちが、お互い、歩み寄っていい感じになると良いなと思います。

 

今日はここまで。

では