物語考>仕事のこと〜「#着飾る恋」

人は、仕事をどう選んでいるのでしょうか。色々な動機があると思うのですが。

プラネテス」という、ずいぶん昔に読んだコミックの中に、今でも印象に残っている場面があります。それは、主人公のハチマキが木星ロケットのエンジンに触れた瞬間、派手な放電が巨大エンジンとハチマキを包んだシーンです。1ページ丸々使ったこの放電は、実際の電気ではありません。ハチマキの心象風景です。俗に言う「ビビビと来た」という感覚です。やがて主人公は、このエンジンを積んだロケットに乗って木星に行く夢を果たします。

私が24歳でコンピューターに初めて触れた時、また、娘が高校の新入生歓迎会でダンス部の演技を見た時、流れた電流もこれと同質のものでしょう。前置きもないのに、いきなり走るこの感覚って一体何なのでしょうか。謎です。わかっているのは、これが来てしまったら、もうそこから完全に離れることはできないってことだけです。これが仕事選びに大きく影響したという人、どれくらいいるのでしょうか。

「#着飾る恋」の真柴さんは、まだ田舎にいた頃、洗練されたグッズとそれを司る人に「ビビビ」となり、憧れて、自分を磨いて、ここまでやってきたのですね。7年も思い続けて。健気で愛おしいです。だから、何があっても完全に離れてしまったらダメだよ、頑張ってと画面に向かって語りかけてしまうのです。でも、すり減るのは良くないです。どうしたら良いのやら。

まだ駿くんの背景が明らかになっていませんが、レストランの厨房で香子さんに声をかけられた、ということは勤め人だった訳ですね。その上で仕事についての頑なさとなれば•••想像はつきます。料理に「ビビビ」と来て、これで生きていくと決めて、それを実現する為にやりたくない事も飲み込んで生きていたけど、もう限界。そんな時に香子さんに声をかけてもらった、に1票。

葉山社長も天才的なセンスを持ち(つまり天職)、楽しみながら仕事もしていたのに、社内政治に疲れて去ってしまう訳ですね。

他のキャストのこともだんだんわかってくるでしょう。総じて、「やりたい事」と「やりたくない事」の綱引きに疲れた人たち、なのですね。

うーん、キャスト全員俳優さんだから(当たり前か)、当然水準超えた意志力が根っこにあるし、空気感も私の身の回り風景とは違います。その上で「内なる綱引き」をしていたとしても、そう簡単にはどっちかを放り出さない感じはあります。

個人的意見としては、「やりたくない事」はできるだけ減らすべきだと思います。抱え込み過ぎて病気になった私が言うのだから、聞いて欲しいです。電車に飛び込んだ人たちも「死のう」じゃなくて、意識レベルが低下して「これに飛び込んだら、仕事に行かなくて済む」とふっと思ったんだろうとリアルに想像できる程度には、「やりたくない事」が有害なのを身をもって知っています。自分のしている事が、本当にやりたかった事なのかどうかすら疑いだしたら末期です。

あの「ビビビ」が、もう一度来てくれないかなあと、この頃強く思います。あれが来たら、無我夢中で、疲れ知らずで、最強の自分が復活するはず。歳は関係ない、とカーネル•サンダースや人類最高齢のプログラマーが教えてくれました。もし再び来てくれたら、今度は、傍でごちゃごちゃ無責任な事を言う人を近づけない知恵もあります。

やっぱり「やりたくない事」の多くは、対人絡みですね、私の場合は。他の人はどうなのでしょう。

我がアイドルには、俳優としての仕事をもっと楽しんで欲しいな、と思って応援してました。だって、キラキラして見えたんですもん。やりたくない、好きでないことも、頑張ってやっているんだね、と感じる時もたくさんありました。それをやり通したからこそ、表現者として別次元にワープした現在があるのでしょうか。

どう生きたとしても人生です。もうちょっと考えてみます。

 

今日はここまで

では