映画「るろうに剣心 最終章The Final」見てきました

例によって、考えがあちこち飛んでます。

 

見てきました。「るろうに剣心 最終章」。

アクションがすごくて、ともかく物が壊れまくって、人が倒されまくって、情報量が凄まじくて、とても疲れました。いい意味で。

戦う人々の動きも美しく、主演の佐藤健さんは言うまでもなく、ラスボス感たっぷりの雪代縁役の新田真剣佑さんが、もう、ね。観賞後、腕の筋肉をテーマに娘と2人でしばらく話し込んだくらいです。あと、土屋太鳳さんの蹴りが美し過ぎて、もう。

でも、そんな中、映画を見ている途中で頭の中をよぎる真面目モードの「?」マークがいくつもありました。

例えば、「明治政府って何? 暴力団?」とか。前回の京都編が最もその色が濃かったでしょうか。列強に対抗する国力をつける為、近代化を進めていた「正しい」政府を標榜しておきながら、散々利用した暗殺集団を、維新が成立した途端に口封じにかかるとか、鬼畜ですか、と。志々雄真実、四乃森蒼紫ほか、反逆者たちの方に気持ちが寄ってしまいました。

雪代縁の気持ちも、痛いほどわかるし、無関係な人を大勢巻き込むのも理解はできます。立場が違ったら許せないだけで。最愛の人を理不尽に奪われた時に、人類全員道連れにして死んでやると思う人、一定数いますし、不可解だとも思いません。大事なものを守る為に我慢も努力もしてきたのに、それが裏切られたら、もう終わりでしょう。誰だって、スケープゴートにされて納得なんかできる訳ない。

なんだかんだ言っても、反逆者たちは美しいし、その一方で贖罪の気持ちを持ち続ける剣心の悲しみも清く感じます。醜悪に見えるのは、内なる世界に何もない人々です。

明治政府のやらかしは、完全なるフィクションではないかも知れません。政府は異人への「接待」にあてがった女性たちの産んだ混血児を、人柱にしました。明治6年 横浜弁天橋の4人の人柱とか。人間のやる事には思えません。一事が万事。

それ以前の戊辰戦争西南戦争も、調べれば調べるほどエグくて、心が壊れそう。

開国したら、ここまでやらなきゃいけないほど追い詰められていたのかなあ日本は、と思いました。けれど次の瞬間、そうやって「やったやつ」にいつも甘過ぎる自分に気がついたり。協調性が乏しいといつも言われてきた私にしてからがこうなってしまったのだから、教育の効果と世間の圧は侮れません。

不思議なことに、この大勢に対してエンタテイメントは反逆の立場を取ることが多いと感じます。そもそも、この作品が生み出され、見事な実写化をされ、多くの人が視聴したのだから、まだ希望はあるのでしょう。

絶対的に少数派で迫害されているシンデレラが常に主人公なのと、源泉で繋がっているのかも知れません。

 

もうひとつ。

四乃森蒼紫を演じる伊勢谷友介さんが、大麻取締法違反で逮捕されたため、映画がお蔵入りするのではないかと心配する声がありました。でも、無事封切られて本当に良かった。

テレビやCMのように、スポンサーが作り手にお金を払う場合は仕方ないとしても、観客が個々にお金を払う映画や音楽配信やオンデマンドでのお蔵入りには反対します。遡っての停止にも断固反対します。罪は罪で償うのは当然だとしても、仕事の成果はそれとは別物です。仕事は、仕事人の手を離れた瞬間、その人だけの物ではなくなります。だから仕事なのです。普通に生きている人にとっては自明で、言葉にするのもおかしい真理が、どうしてアート作品だけ違うのでしょうか。

ましてや、関係者だけの問題である不倫問題など、ほとんどの人にはどうでもいい事のはずです。作品のお蔵入りなんて、絶対反対です。いつまでも話題にすることも反対です。問題を起こした人を長く干すのも反対です。男性より女性の表現者に対するバッシングの方が酷い風潮に、危機感すらおぼえます。

•••もう少し、この辺りが改善されて欲しい、と映像作品大好き人間としては、強く主張したいと思います。

 

そんなことを考える、春の昼下がり。

今夜の「着飾る恋には理由があって」が楽しみでなりません。主題歌の星野源さんの「不思議」も配信となりましたね。繰り返し聴くたび好きになっていく曲です。何だか切ない気持ちになる場面も多々あるのかな、という予感がします。

今日はここまで

では