『シンデレラ・マン』

金曜日のレイト・ショーで『シンデレラ・マン』を見てきた。テレビでは、著名人が映画館の客席に座って、感想を語る、といいうスタイルでCMを流している。蜷川さんが「いい」とおっしゃるからには、いいのだろう、と思って。

あらすじを聞いた限りでは、『ロッキー』とまったく筋は同じだし、つまりは、典型的なスポーツ根性物語だということだ。日本でスポ根が作られる意義は認めるけれど、アメリカで同じことをやられても白々しい、なんて思っていた。きっと、うっとうしいくらいご都合主義だろうと思って。最後に栄光を掴む話なんて、鬱の人が作ってちょうどバランスがとれるくらいのものだ。
そんな感じで、まったく期待してなかった。CMがなかったら、たぶん見なかったろう。しかし、CMは嘘ではなかった。本当によかった。胸をはって私もお勧めする。

大恐慌時代、奥さんと子供たちを養うために、闘った父親……これだって、事前にそれだけ聞いてしまうと、『またか』という気持ちになる。日本とアメリカとでは、親子の関係がかなり違う。だけど、実際に見てみると、押し付けがましいところがまるでなかった。一体それはどういうわけなんだろう。感傷的な描き方ではないことも、とてもよかった。

主人公のボクサーに、ボクシングの試合のことを『仕事だ』と語られて、『そうか、これって仕事だったんだ』と思った。ボクシングを『遊び』だとは思わないけれど、ある意味『真剣な趣味』のひとつなんだろうと思っていた。しかし、主人公が、対戦相手のビデオを見て、頭の中で戦いのイメージを作ってみたり、相手の仕掛けてくる心理戦にまったく乗らなかったりする、乾いた空気は、まさしく職人が仕事をすすめる時のモードだ。
素でいる時は様々の感情が渦巻いているのだけど、『仕事』は、たぶんもっと淡々としたものなのだ。それは……私が、仕事中には家族のことをいっぺんも思い浮かべないのと同様だろうか。もちろん、その仕事をするのは、一番には家族のためにしてあげたいことがあるからだ。お金は欲しいし、お金で家族が喜ぶことをするのが楽しい。しかし、ひとたび仕事に入ったら、それは違うモードなのだ。それを、こんなにすっきりと突き付けられると、二重のエールに聞こえてくる。
奥さんがまた、チャンプの奥さんはきっとこうだろうな、と思うほど良くて。相棒が、これまた名コンビで良くて。ジャーナリストが、「かくあるべし」というくらい良くて。
というわけで、久々の感動でした。