なんにもない日の、なんでもない日記

仕事が忙しいというだけの、割となんでもない日だ。こういう日は雑念がわき出して、けっこう疲れる。雑念はポストイットに書いて小さく吐き出して置くのがいい。いつかまとまった文にできる、と思うとようやく落ち着く、
ところで、そんなひとつ。最近、不思議なことに気が付いた。人間の暮らしには、対人関係をスムーズに運ぶ為の道徳がいろいろある。だけど、そんなものは簡単に何の問題もなく崩せるテクニックがあることに気が付いてしまった。
「性差別するつもりはないんだけど」と言えば、性差別してもオッケー。
「揚げ足をとるつもりはないんだけど」と言えば、揚げ足取りになってしまってもオッケー。
「お言葉を返すようですが」と言えば、気の張る相手に口答えしてもオッケー。
「死んだ人のことを悪く言うつもりはないんだけど」と言えば、いじめを苦にして死んだ子の加害者は、「死人に口無し」とばかり一方的に悪口言いたい放題。
「教えてちゃんでスマソ」と……これはやめとこ。
前置きというのは、便利なものだ。便利過ぎて、言葉の持つ脆さをあらわにしてしまう。そう言えば、形容詞や副詞を多用するな、というのは、ある作家の第一の教訓だった。

人間、未熟な者同士の場合、顔が見えない時のコミュニケーションでは、語られている「内容」よりも、むしろ、その相手の「感情」が重要視される気がする。自分が許容されるかどうかは、自分のやっていることの是非によるのではなく、相手の気分次第だと、どこかで感じている、ということだ。前置きというのは、その「いなし」を狙って、無意識にしてしまうフェイントだという気がする。ストレートでシンプルな方が、個人的には好きなのだけど、どっちも疲れることでは同じだろう。

何でもない日に、なんでもなく書いた日記の内容も、ずいぶんなんでもないものだった。ではおやすみなさい。