『ブロークバック・マウンテン』DVD

ホモセクシャルについては、特に何の感想もない。ヘテロセクシャルの男女のベッドシーンも十分に気持ち悪く感じるので、ホモだから特別に気持ち悪い、ということもない。映画やドラマの役者同士の場合だと、素では恋愛感情を持ち合っているわけではないのだから、どうしてもそれが透けて見えて不潔感が増してしまう場合がある。ある作家が「愛し合っていれば、どんな変態プレーでもいやらしくない」と書いていた。いやいやいやいや、どんなに好きな相手とでも変態プレーはちょっと……。ただ、いやらしさは、お互いの温度差がが原因だ、という意見であれば同感だ。

そんなわけで、この映画、かなり覚悟して見た。そんな気負いにも関わらず、たちまち引き込まれて「いやらしい」という感じを抱かずに最後まで見てしまった。山の中での二人きりの厳しい放牧の労働。協力してそれを切り抜けていく二人の若者。それぞれ不器用で打ち解けられないのが、美しい自然の中でだんだんと壁がとれていき、ある夜、ついに一線を越えてしまう。ここの当たりは、「そんなこともあるかもしれない」と思った。そして、長い仕事を終えて、別々の仕事を始める。だけど、それぞれ「何かが違う」という気持ちを抱えている。四年ぶりに再会した瞬間、思わず家の影で抱き合ってキスしているところを見て、「そっかぁ、そこまで好きだったんだね」なんて思ってしまった。二人が男性同士だってことも、途中で何かどうでもいいことに思えたりして。二人のシャツを重ねてあるシーン、切ないほどの純粋な思慕の情だと思った。
米国での試写会では、二人の役者に対して賞賛の拍手がなかなかやまなかったそうだ。アメリカは、少なくとも映画などの表現の場では、同性愛者に対する理解が日本より三十年以上進んでいるので、この反応も当然かも知れない。

ところで、「世界が百人の村だったら」という絵本があって、その中に「十人は同性愛者です」とある。それはおそらく、キンゼイレポートを基にしている。それによれば、11000人の成人の内、男性の4%が完全な同性愛者であった。また、男性の13%が13~65歳の間に少なくとも三年間、主に同性愛の生活を送っていた。20~30歳の女性の2~6%、既婚者で1%が同性愛で、28%が体験を持っていた。(『心の謎を解く150のキーワード』 ブルーバックス より)
それが真実だとして、十人に一人が同性愛者であれば、それを「異常」と片付けるのには確かに無理がある。かつて、同性愛を異常性格と位置づけていた精神医学界も、精神障害人格障害、などの変遷を経て、1987年、とうとう、同性愛は正常だとみなすことにした。

さて、そんな背景を踏まえてみて、それでもアメリカのこの学会での先駆性と、人々の偏見の間のギャップを、映画を見ても強く感じざるを得ない。主人公のひとりイニスは、少年の頃、同性愛者の男性の惨殺
死体を見てしまったことがトラウマとなって、二人の関係に対していつもどこか及び腰だった。そういえば、キングの長編『IT』にも、同性愛者の男性二人が、衆人環視の中で惨殺されるくだりがある。人権も何もあったもんじゃない。同性愛に対するアメリカの農村地区での嫌悪の強さを、映像のはしばしに感じた。

私などは単純だから、同性愛者の人権を護れ、という方向に心が傾く。でも、夫が同性愛者だったら? 深い悲しみに囚われるに違いない。イニスとジャックのそれぞれの奥さんが、とても可哀想だった。そして、自分の子供がある日、同性愛者だと告白するところを想像してみた。私は、どうやらその「事実」だけは受け入れられる。だけど、周囲の偏見から娘を護る戦いの厳しさが容易に想像されて、それはなかなかに辛いことだろう。もしかして、相手を何とか遠ざけようとするかも知れない。差別を支えているのは、嫌悪や憎悪や嫉妬などの感情よりも、むしろ身内に対する盲目的な愛情ではないか、という文を読んだことがあるが、確かにそうだと思うし、だからこそ根強いのだと思った。

道をそれたけれど。