『いじめを考える』なだ いなだ著/岩波ジュニア新書

私にとって、ここでの最初のブック・レビューになる。
フリー雑誌の『R25』のインタビューで、山下達郎さんが興味深いことを語ってらした。『人は誰も、自分にとっていちばん美しい響きを頭の中に持ってて、その近似値を誰かの作った音に求める。それが自分の好きな音楽になる』と。こういう言葉を聞くと、目が開かれる思いがする。もしそれが事実で、そして、音楽以外の様々なものにも当てはまるのだとしたら。本にも確かに、自分にぴったり合っている、と感じるものとそうでないものがある。書かれていることについて、理解はしつつ自然にどこか突き放して見ている時と、どっぷりはまっている時とがある。私にとってその後者に当たるのが、この作者によって書かれた本である。いつだったか、岩波新書の『神、この人間的なもの』を読んで、神について私の知りたかったことがすべて書かれていることに驚いて、それから続けて何冊か読んだ。
物事を広いところに立ってもう一度見直してみる、という方法は、たくさんの経験や知識を必要とするだろう。例えば「違う名前で呼ばれていると、同じものが違うもののように感じる」なんて知恵を伝授してくれるのは、物事を俯瞰して捉えている人だけだろう。「いじめ」という言葉の変遷、そして、それが「いじめ」と命名される以前は、一体それは何と呼ばれていただろうか、それは一体、何を意味するのだろうか……そんなこと、考えてみたこともなかった。しかし、この発想の方法は、たっぷり応用が利きそうだ。
いじめ問題は、私個人にとっては、大人となった今、すっかり過去のものではあるが、娘がまだ学齢なので、娘をいじめから守る……被害者になることと、加害者になること、両方からだ……対策として、やっぱり熟知しておきたい。とは言いながら、ずいぶん実態を知らなかったようだ。はじめて知るようなデータが、この本にはたくさん詰まっている。子供の犯罪もいじめも自殺も、数としては戦後と比較して激減している。それは薄々知っていたけれど、その歴史的背景については、私はずいぶん無知だった。すべては個々の戦争体験と深い関わりがある。それにしても、ここまで激減をあらわすデータがあるのに、誰が「増えている」と言ったのだろう。それは、巷の「印象として」増えている。その「印象」は、なぜ事実とは逆なのだろう。そっちにこそ意味はないだろうか。
ただ、物事を悲観的に考える人間が、この国では大半を占めているせいか、世の中はどんどん悪くなっている、未来に希望はない、という気持ちを抱く者は多い。しかし、寿命は延びたし、生活は確実に豊かになってきたし、進歩してきた部分はたくさんある。なのに、なぜか国民感情として喜怒哀楽の「哀」が一番共感を生みやすいようだ。日本人は、真面目で完璧主義者なのだろうか。それをきっかけに真面目に物事に取り組む人はいい。しかし無気力に取り付かれてしまっては人生の無駄遣い。まあ、だからこそ、顰蹙を買うのを覚悟で「喜」をふりまいてやろう、などと腹黒く考えてしまったりもするわけだけど。
またあらぬ方向にいってしまいそうなので、ここらでやめておく。