ちょっと雑談~「自分探しの旅」という言葉

最近、内田樹さんの「下流志向」を読んだ。

出版日が2007年1月31日とあるから、二年半も前の本だ。

ここに書かれていることが正しいとか間違っているとか、そういうことはこの際置いて、素直に面白かった。

だけど、今回言いたいのはそこではない。

中に「自分探しの旅」という言葉の流行について語られているのを見て、前々から言いたかったことを書きたくなった。

他にも商業メディアでこのキーワードを見るたび、嫌な気持ちになる事情が私にはある。

今の今まで黙ってきたけれど、ここらでひとつガス抜きしようと思う。


まだネットがパソコン通信だった頃・・・・・・かれこれ18年も前のことだ。

ボランティア関連のSIG(スペシャル・インタレスト・グループ)を主催していた時に、掲示板に言葉は落としつつも、何しに来ているのかわからない、正直言って活動の邪魔、という人たちに手を焼いていた。

だからと言って、「邪魔だから出てって」とも言いたくない。

この人たちは、それぞれ何かを抱えて、どうにかしたくて訪れたのだろうから。

自分がしたいことが、自分でわからない状態なら、本来このSIGに用はないはずだ。

そんな人たちに対してケアしてあげる必要だってなかったはずなのに、その点はまだ甘かった気がする。

ともかく、すべてを丸く収めるテクニックとして、SIGのテーマと、この人たちの対処を合致させればいい、と考えた。

そして「自分探しの旅」というコーナーを作った。

「ここは、何かをしたくて、自分の責任においてやってみたい、という人のSIGだから、『自分は何をしたいのか』から探し始めるプレコーナーがあってもいい」と説明して。

タイトルは、そういう主旨が一言で表現されているものを、と考えて、ほとんど直感的に考えてつけた。

他のコーナーのタイトルが「かたらいの森」などの、「なんとかの なに」という体裁をしていて、かつ具象的なもので抽象的なことを言い表す、シンボリックなものだったので、それに合わせた、という事情もある。


さてさて、この言葉を、私は自分で発明したつもりではいる。

だけど、どこかで読んだものが、無意識の中に入り込んで、それが出てしまったということも十分に考えられる。

だけど、そのどちらであっても、私がこの言葉が流行していくさまに複雑になるのは、同じことだった。

私がこの言葉に託したものは、「自分の望み、夢、恐れ、などなど、自分の行動を無意識に方向付けているものを、自分の中から探し出し、主体的に生きていく土台を作ろう」ということだ。

このタイトルをつけたときには、キリスト教文学の「天路歴程」を引用して、「自分のコアに近づいていくことは旅になぞらえられる。古来、一足飛びにゴールにはたどり着けないものだ」、という説明書きまでつけた。

この文脈から、モラトリアムを決め込んだ堕落した人間をイメージするとしたら、それはした人間の方に落ち度がある、とさえ思う。


この「自分探しの旅」なる言葉が現在、主語として語られるとすれば、「私は今、自分探しの旅の途中なんです」という感じになるだろうか。

それを言う人によっては、とても危なっかしい感じがするだろう。

しかし、娘が就活生だから、一生の仕事を決める段階だということもあるけれど、自分がどういう人間か必死で模索するのは、大切なことだと思う。


だけど、「自分探しの旅」という「現象」として語られるとき、それが肯定的であることはほとんどない。

自分たちがかつて若者であり、自分が何者なのか、何になれるのか、野望やら不安やらでいっぱいで、もがいていたことなどすっかり忘れて、今、若者という時代を生きている人間を、俯瞰で見て批判する・・・・・・。

かつて、自分たちが反発を感じた、嫌らしい大人に自分がなってしまって、同じことをする。

そういうスタンスで「自分探しの旅」という言葉を槍玉にあげるのであけば、その姿勢こそ批判されてしかるべきだと私は思う。

でも、自分探しどころではなく、ただ食べるため、子供を育てるために必死で働いて、そのことによって何かをつかめる、ということもあるのはこの年になってわかってきた。

要するに、それが「どれだけその人間にとって切実か」に因るのだと思う。

自分を甘やかして「自分探し」は確かにない。

怠惰な心で仕事をしても、進歩がないように。


言葉は何かのレッテルに間違いないだろうけど、そのレッテルの中身を見ないまま一般化した考察というのは、必ず間違うものだ、と肝に銘じつつ、これからも生きていくことになると思う。


これでやっとすっきりした。

「自分探しの言葉」なるキーワードが批判されるたびに、自分の子供が批判されたような気持ちになっていたから。

私自身は、この言葉をコーナーのタイトルにつけた時から今日まで、実生活で一度も使ったことがない。

詩的な言葉ではあると思うので、詩の中に閉じ込めておくのが一番かと思う。