蜷川さんの動画を拝見。

蜷川さんの動画を拝見。
『ムサシ』の稽古の場面も少し出てきた。
若い俳優千人以上と直にオーディションをされたとか。
私は、想像しただけで恐怖と疲労でぐったり。
蜷川さん、話しているところとか、身のこなしとか、あんまり70代じゃない。
身近な人たちと見比べても、実年齢の八掛けから七掛けくらいの感じだ。
うー、羨ましいなあ。あんなになれるんだったら、年取るのは怖くないんだけど。
精進が足りないって? ああそうですか(焦)。
ところで、蜷川さんにしても、藤原さんにしても、自分について危機感があるところが、とてもよく似ている、と思う。
二人とも、普通じゃない気がするんだけど、普通の人が普通に陥る落とし穴に対する危機感がすごい。
インタビューを読むたびに、それを感じる。
藤原さんのは、蜷川さんからの影響の可能性もあるけれど、蜷川さんのは?
私は、二人には永遠に語り継がれる伝説になっていただきたいし、なれると思うので、聞くたび「面白いなあ」と思う。

作品が、10年間この世から忘れ去られることなく存在している、というのは大変なことだ。
例えば、10年前に作られた映画の内、いくつが今だに見るべきものとして語られるだろう。
音楽は? 小説は?
そうやって考えていくと、意外に少ないことに気がつく。
もっと長い時の流れの中に生き残るものは、更に少なくなっていくだろう。
まずは十年を生き残ることができるもの。

蜷川さんと藤原さんの成し遂げたことが偉業だと言うのは、もう既に10年近くを経たものが、観客にとって過去ではないからだ。
しかも、それは丸々形に残るものではなくて、見た人たちが語り継ぐ舞台の「伝説」としてだから、なおさらだ。
伝説とは、過去に起源を置いてはいても現在進行形で語り継がれる物語のことだ。
それは口に出すことによってそれぞれの人の中に形成される、快楽物質を動力源にしている。
伝説であるためには、それらが時の変化によって減衰しないことが最低条件だ。
どんなに新しい時がやってきても、その都度新しい生命を持つもの。
それが伝説なのである。

それから「老害」っていうと……。
仕事を先頭切ってしていて、自分がだめになっていることに気がつかない老人のことを指すのだと思うけれど、蜷川さんは違うでしょう。
クリント・イーストウッド監督は、蜷川さんより五つも年上だから、老害というものが普遍的な現象というわけでもない。
見渡せば、人類は、少なく生んで、一人ずつ大切に育てて、長く生きて活動する、という方向に徐々に進化しつつあるのは明白だ。
その先頭をきるのは、とても勇気がいることだと思うけど、希望の星になることなので、当然応援するっきゃない。
蜷川さんが走っているのに、私たちがたらたら歩みを遅くしているわけにはいかない。
頑張らないと。