映画から見えてくること~アメリカの階層

http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php週末なので、ちょっと真面目に。
夜更かししてネットをしてた時に、何となく気になる文章の中に、「ギークな話題で申し訳ない」とあった。
ギークってなに?
さっそくウィキペディアで検索。
単純に「コンピューターおたく」と納得して終わりにしまえば、この文を書くことはなかったはずだ。
関連した言葉として「ナード」とか「ジョックス」とあったのでクリックしてみた。
それを全部読んで、コロンバイン事件についての記事まで読み進めた。
突然、今までばらばらに私の脳に格納してあった記憶のピースが、繋がってしまった。
ひょっとして、常識だったのかしらん。
でも、私にはとても新鮮で驚きの発見だった。

アメリカの、特に学校を舞台にした物語に対して抱いていた違和感が、すべて納得いってしまったのだ。
「ラブストーリー」の「プレッピー」。
「HEROES」の「チアリーダー」。
「キャリー」や「クリスティーン」の「負け犬」。
「プリティ・イン・ピンク」の「フリークス=奇人」。
ウォー・ゲーム」のパソコンおたく。
などなど。もっとたくさんある。
ここまで、共通言語としての人間のカテゴリーがあるってことが、実にアメリカ的だった、ということだ。

まず、「HEROES」の不死身の少女は、チアリーダーだ。
シーズンワンのはじめ頃に「チアリーダーを救え」というミッションが出される。
それを達成しないと、ニューヨークは核爆発で壊滅してしまうのだ。
だけど、その女の子を表す唯一の特徴が「チアリーダー」っていうのは?
それって、人のアイデンディティを表すことだと思えない。
日本ではなかなか考えにくいことだ。
それが、アメリカという国では、高校の中で女生徒の階層のトップである、なんて知った途端に、隠れていた事情が見えはじめる。
それは、ただの学校の部活ではなかった。
美貌とカリスマ性に満ちた、選ばれた女子だけができる、憧れのポジションだったのだ。
チアリーダーを救え」とは、「スーパー少女を救え」という意味なのだな。
ミッションとしては、実に魅力的だ。燃える。
ただ、私が日本人のせいか、はたまた私だからかわからないけど、どうも理解できない。
要するに応援団でしょ?
アメリカは、日本よりずっとシビアな競争社会でしょ?
他人の応援している人間より、自分がしのぎを削って競争して勝つ人間の方が偉いんじゃないの?
身体能力が高くないとできないようだが、応援は応援。
応援する相手があることが前提のものだ。
スポーツを軸として形成されているアメリカの階層から、女性ははじかれているってことなの?
どちらにしても、スポーツが階層の一番の要素だってところが、アメリカ的ということらしい。
私は芸術スポーツ以外のスポーツ観戦に一切興味がないので、どうしても、どうしても、それが理解できない。

ところで、投票によって選ばれた女子のトップが、その高校のクイーンになる。
構造上、そのチアリーダーから選ばれることが多いようだ。
ちなみにキングは、体育会系スターのジョックスの中からだいたいは選ばれる。
「HEROES」にもそうだけど、アメリカの映画やドラマで、この「キング・クイーン選び」がよく出てくるのに、またしても違和感をおぼえる。
ただのお遊びにしては、そこにかける情熱がちょっと大袈裟に見える。
たとえば、「HEROES」の不死身少女は、そのクイーン選びで、「変人たち」と呼ばれている人たちの絶大なる支持を得てクイーンとなる。
組織票集めに、少女の幼馴染が一役買う。
こんなこと、大真面目になんてできないって普通、と思った。
ドラマの筋だとしても、おかしすぎるって、と思った。
だけど、これはアメリカの、大人が見る人気ドラマなのだ。
アメリカ人と日本人のメンタリティの中には、まったく正反対のものが数多くあるように思うのだが、これもそのひとつなのだろう。
そうか、そうか。そんなに競争が好きか。
一番には一人しかなれないのにねぇ。

ところで、この少年は、分類で行くと「ナード」と呼ばれるカテゴリーに違いない。
日本では、ここまでがっちりと括られる一大カテゴリーなんて、ないと思う。
だけど、アメリカでは一番人口の層が厚いので、多数決では強い、という説明だった。
日本人で言えば、中流というところだろうか。
そして、オバマ大統領の属する民主党の議員はほとんどが「ナード」が出自だと書かれていた。
競争と民主主義、階層と多数決というのは、ゆらゆら揺れる面白い天秤だと思った。

例によってまとまらないけど、ここらでおしまい。