『プラダを着た悪魔』

ずいぶん前に見たんだけど、いい映画だったから感想はきちんと書いておこうと思う。

さて、最初はどんなに無理だと思えたことでも、やっていく内にできるようになることがある。仕事では、社会に出たばかりの新人の頃、先輩たちの仕事っぷりを見ていて、「自分はここまで行けるだろうか」という不安でいっぱいになったりする。だけど、精進していくと、近づいていって、気がついたら自分もできるようになっている。主人公アンディが、悪魔のような女性編集長ミランダからふっかけられる課題に、最初は無理だと思いながら必死で取り組んでいく内に優秀なアシスタントになっていくプロセスが、働く女性たちに対する最高のエールだと思った。髪振り乱してやりがちなことだけど、そこはそれ、美意識なくしては務まらないファッション誌。どんどんセンスが良く美しくなっていくアンディも見ていて楽しい。しかし、この楽しさが案外毒なんだよな、と反動で思い始めたところで、観客にもようやくこの業界の「裏」がみえはじめる仕掛け。心憎い。

日本……私の若い頃の仕事の場合だと、難題をふっかけられるどころか、最初から「女の人は無理だよ」なんて言われて、ろくな仕事させてもらえないことはしょっちゅうだった。「この仕事なら女の人でもできるよ」なんていちいち言われて、男子社員とは比較にならない小さい仕事を渡されて、それでも「これも経験だから」と思って頑張って取り組んでいると、その脇を同期の男子社員が「女は仕事が楽でいいな」と通り過ぎる……と。今なら大騒ぎして問題にできることだけど、私の頃ではこれが普通だったのだ。このままでは潰される、と思って毎日帰宅してから必死に勉強した。ジェンダーフリー教育に反対する人たちには、私のこの悔しさは死ぬまで理解できないことだろう。今では、このハングリー精神があって、本当に良かったと思っている。そういうこともあって、女性たちのサクセスストーリーで、きちんと努力の部分も描いている物語は、かなり気持ちがはまる。

アメリカの仕事事情は、おそらく日本より十年以上進んでいる。特に、ビジネスの中心地ニューヨークを舞台にした『摩天楼はバラ色に』『ワーキングガール』などの映画で、ビジネスの場で自己実現しようと挑んだ女性たちの戦いが、ずっと描かれてきた。物語の中には、女性であることをネタに妨害してくる人もいれば、同じくらい応援してくれる人もいる。映画が作られた、という一点をみても、アメリカでは人生に果敢に取り組む女性は好意的に見られている、という証拠だ。でも、以前の作り方と、この『プラダを着た悪魔』とは明らかに違う。そろそろアメリカ人も疲れてきたのではないだろうか。アンディが本当にやりたかったのは、じっくりと物を書く仕事だった。これは、新しいアメリカ人の価値観ではないだろうか。すると、セレブになりたくない人間はいないと信じていたミランダは、古いアメリカ人の象徴だろう。日本だと、今まさにこのミランダの価値観が主流になりつつあるところだ。こういうところは、よく見ておいた方がいいと思う。

ただ、「スローライフ」のひとつである、恋人の存在だが……アンディの基本的なものの考え方には賛成の私と娘も、「彼女のキャリアに嫉妬するようなこんな男とは、別れた方がいい」と突っ込み入れまくりだった。「仕事と恋人と、どっちが大事なんだ?」私も、これを言われたことがある。こういうことを言う人のためにキャリアを諦めたら、きっと後悔するから、アンディ、こんな男とは別れなさい、と何度も心の中で叫んだ。日本の男性は、これが女性の専売特許の台詞だと思っているからなおさら腹立たしい。
恋人と言えば、ミランダは、仕事でもプライベートでも、両方完全を実現しようとして、あらん限りの努力をするのだが、結局二回目の離婚となる。やっぱりそういうものなのか。だから、女性は仕事をするな、というのは絶対に違うと思うけど。

結論は出ない。まあ、一生懸命生きたほうが、自分が納得いく、というメリットはある。それが一番だとは思う。