『ムサシ』大阪公演のチケットを

チケットをゲットすべく、今いろいろ当たっているところだ。
娘は、「私はもういいから」なんて言う。
そして、この子との付き合いがかれこれ21年になる母は、そんな言葉を「はいそうですか」とは聞かない。
本当は行きたいくせに。
諦めるのが上手な子にはならないようにと頑張って育てたつもりなのに、何たることか。
やっぱり遺伝か? DNAの仕業なのか?
というわけで、可能性がゼロではない限り、チケットを求めて努力あるのみだ。

それはさておき、またもや『情熱大陸』の話。

藤原さんが言うには、蜷川さんは、役者を使ってみて答えが出せなかったら次はもうない、ということだった。
その話って、TVステーションの藤原さんのエッセイでも読んだことがある。
ハムレットの頃だったかな。
とても妙な気持ちになったせいで、強く印象に残った。
その場で思いついたカッコづけの言葉ではなかったんだな。
そう、藤原さんが芝居に関して語る言葉に、そんなのはひとつもない。それはもう大体わかった。
それにしても、「次はない」という掟は、藤原さんも例外ではない、ということなんだろうか。
藤原さんだけは特別じゃないの? なぜ?
答えって、どれくらいの答え?

それでいくと、岡田くんは答えが出せなかった、ということ、なのね、やっぱり。
話を聞く限りでは、蜷川さんは岡田くんに貴重なアドバイスをたくさんくださったように思う。
基本、蜷川さんは、若い役者は育ててあげよう、という気持ちでいてくださるんだと思う。
その後に主演した『Tokyo tower』での岡田くんは見違えるようだった。
でも、次はない。寂しいけど、仕方がない。
自助の精神のない者を育て上げるのは無意味なので切捨ては当然だけど、それを見る限り、「答えが出せない」の意味はそれだけではなさそうだ。
蜷川さんや藤原さんがよく口にする「才能」というもののこと?

才能と言えば……まだ15歳の藤原さんが稽古で罵声を浴びているシーンなんて、映ってた。
私は、こんなん言われたら、もう次の瞬間心が銀河系の向こうに行ったままになっちゃうけど。
でも、ちゃんとそれでも昇っていけるのね、藤原さんは。
20歳の藤原さんが、「快感でしょう?」と聞かれて、歯医者で麻酔が切れて痛いのを、つい「大丈夫です」と言ってしまったエピソードで笑って返していた。
稽古で傷ついて、超回復してる時の藤原さんが一番美しい、と感じた私の感性は、なかなかのものかと。
誰も褒めてくれないから、自分で褒めとこう。
蜷川さんは、育てることをはっきりと目的にして負荷をかけておられるみたいだけど、
藤原さんのキャパがあまりに大きいので、成長に必要な負荷も大きいのだろう、と想像してみる。
筋肉ですら、シュワルツェネッガークラスになると、トレーニングに普通の人の何倍もかかってしまうと聞いた。
うーん、そうだろうなあ、と思う。
負荷をかける側も日に日に大変になっていく。
ただ、成長できる自覚があるから、藤原さんのモチベーションは少しも低下しないのだろう。
藤原さんの場合は、蜷川さんの言葉で、答えまで一足飛びに着地することがあるみたいだ。
禅の悟りの話にとてもよく似ていると思う。
それは、どんな世界だろう。

またまた個人的な話。
役者を育てることと、子供を育てることは違うとは思うけど、その子の特性を掴んで育てる、ということは共通しているかも知れない。
私の娘は見よう見まねが全くダメで、とろい子に見えるけれど、システムを言葉や図で理解させると飛躍的にできる、という特性がある。
これに気がついたのは、5歳くらいの時だったかな。
自分が「できる」という感覚が、結局はモチベーションの核なんだと、最近つくづく思う。


「育てる」で余談をひとつ。

私は間違えたかなあ、と、このごろ思うこと。
底力があって、とても負けず嫌いで、挑発に乗りやすい子がいた、とする。
その子に上に行って欲しかったので、取って置きのテクニックを……生涯たった一度しか使えないやつを……使ってしまった、とする。
それは、その子が一目置いている人間が、おおっぴらにその子をライバル視してみせることだ。
これに乗らない人はいない。
ただ、これの致命的欠陥は、上に行くことが、目的ではなく手段になってしまうことだ。
よくないことがいろいろ起こる。
軌道修正しないといけないかな、と思う。