ごめんなさい、嘘ついた

いや、嘘をついてたわけではないけれど、あたかもテレビでは小栗さんを見たことがないような事言ってしまった。
岡田くんの痛いファンだったんだもん、小栗さんを知らないはずはない。
大化改新」で競演しているから。
撮影時で、確か、岡田くんは23歳、小栗さんは21歳。
放映時でひとつずつ年をとって、そのキャンペーンでNHKの朝の番組に、二人揃って出演していた。
本当にふたりとも美しくて、嬉しくてつい、「タイプの違う美形が並ぶと、気分がいいわね」なんて、オバちゃん丸出しで、ホームページに痛い感想を書いたのだった。
その時、岡田くんが電車の中で小栗さんに本の話をするので、本を読もうと思った、みたいなことを小栗さんがインタビューで答えてらしたので、「あー、ひょっとして迷惑かけちゃった?」と心配したのだな。
小栗さんはずいぶん猫をかぶって(笑)、大人しい貴公子みたいな雰囲気だったので、誤解したようだ。
これは役柄がそうだったから、というのもある。
でも、今の小栗さんのインタビューを読む限り、大変な勉強を積み上げているのが伝わってくるので、本のこともきっと「うざいな」と切り捨てたわけではなかったんだな、と、ほっとしている。
ずっとその後、小栗さんが岡田くんと芝居の話で盛り上がった、と語ってらしたのを読んた。
すっかり気持ちが落ち着いた。

しかし、岡田くんも顔がいいことをことさらに言われると、とても困った顔をするところが大好きだったけど(いや、今でも好きだ)、小栗さんもその点は似ているみたい。
蜷川さん風に言うと、大衆性と芸術性を兼ね備えた役者、への道というのは、ずいぶん石ころだらけのきつい道のようだ。
大衆性というのは、アイドル的な人気のことも含めて、ということだろうけど、それと芸術性の両立は、素人目にとても困難に見える。
どっちかに偏ってしまいがちに見える。
そうそう、小栗さんは、「情熱大陸」の24歳の時に、「この人気は一年後には終わる」と語っていたけれど……終わんなかった。
だけど、あの危機感は、つまりは、この2つの天秤のバランスの危うさからやってくるものなのかな、と今思っている。

宮本武蔵』、読み進めている。
途中、武蔵の心の変化を追体験しながら、道を究めるときに、いつも大きな天秤が目の前に現れるものなんだな、という気持ちがしたので、何となく思いつくまま書いてみた。
私の目の前にも、いつもいつも天秤があって、それがうまく釣り合っていたことはあまりないなあ、なんて思ったりもする。
今夜はここまで。