『デス・ノート』

『デス・ノート』見てきた。面白かった。
我が家のトイレには、天井までのスチール書棚があり、そこはコミック専用棚になっている。その下から三段目、いい高さに『デス・ノート』はある。原作は連載が終わったけれど、終わり方が気に入らないと、夫と娘がとても不満そうだ。だけど、ライトとLの頭脳戦の面白さは、それでもなお色あせることはない。映画がその辺りをどう描いているか、とても心配だったけど、すっきりとした展開に引き込まれた。

主演の藤原君は、見た目にとてもライトっぽい。青年の潔癖さそのままの美しさと残酷さ。こういう、選民意識を持った殺人者というのは、現実世界でもテロ事件などでずいぶんお馴染みだ。だから、この物語の殺人のアイテムはまったくの非現実であるものの、それが出現した時の現実世界は「きっとこうなるだろう」という必然性に満ちている。たいていの人間は、この、名前を書いただけでその相手を死に至らしめるノートを実際に使うことをひどくためらうだろう。だけど、知能が高くて、野心に満ちた若者であれば、その壁をいとも簡単に飛び越え、同じように殺人に手を染めるかもしれない。

だけど、犯罪者ではない人間たちを、保身のために殺してしまった時に、ライトの大義名分は破綻する。このくだりは、どうしても『罪と罰』のラスコリーニコフを連想してしまうのだった。捜査のために人の命すら道具にするLは、さしずめスヴィドリガイロフか。破綻は破綻を呼び、物語の最後の崩壊まで突っ走る。

今回は前編ということで、重要な登場人物がまだ未消化のままだ。次回がどのようになるか、待ち遠しいことである。