『花よりもなほ』四回目見てきました

金曜日、仕事帰りに見てきた。

思うんだけど、武力における『強さ』というのは、相手を人間だと思わないことと強い関係がある。私は四人兄弟で、兄弟仲がとても悪かったので、とてもよくわかるのだが、例えば実際の腕力がそれほど差がなくても、相手に思い切った攻撃ができるか否かで、実際の『強さ』は差がつく。私の姉などは、飛び蹴りしたり、庭石に相手の頭をぶつけたりの、一歩間違えば相手が大怪我するようなことを平気でできる性格なので、連戦連勝。そで吉が強いのも、このせいだと思う。私は、喧嘩の最中でもつい手加減をしてしまうからどうしても勝てなかった。妹にも負けていた。宗左が弱いのもこのせいだと思う。相手の痛みを想像して腰がひけるなんて人は、喧嘩にはそもそも向いていない。子供の頃は、姉のような喧嘩に強いタイプの人が勝者の人生を歩むのだと思っていたが、結果はそうでもなかった。共感能力が乏しいのが主たる原因で子供がうまく育たないので、人生の楽しみがかなり損なわれるからだ。気の毒だとは思うが、自業自得だとも思う。

何かと理屈をつけて妙に精神主義的になってみせても、人殺しの技術を磨いて成立する軍人社会は、戦いがない世の中では、その矛盾を絶対に消化できない。暴力が基本的に「犯罪」と位置づけられる社会で、
武力をせっせと磨くというのもなかなか難しい問題がある。百姓や町人から米やお金を脅し取るためなんだろう、と言われると図星だろう。暴力団と同じ。階級というのはもともとそういうもんだろう。心の優しい進坊だって、いじめっ子に仕返ししたいから剣を教えてくれ、と宗左にせがむ。人を傷つけるのが楽しくて大好き、なんて子じゃないのになぁ、進坊は。また、宗左の「本当に強い人は、むやみに喧嘩なんてしないものさ」という言葉は、自分の父親を負かして殺した相手についての言葉だから、トリプルミーニングくらいの複雑さがある。普通だったら、負け犬の遠吠えに聞こえなくもないけれど、進坊を「喧嘩せずに」喧嘩から救ってくれた吉坊へ向けての言葉だ。

あらかじめ、おだやかな性質の人ほど豊かな人生が得られるんだと、決まっていれば良いんだけど。
この映画、ヨーロッパの国で買い付けられているそうな。納得だ。

つづく