『スポーツはニッポンを変えますか』05/12/18 川淵三郎さん

今回は、私には一番遠いジャンルだったようだ。スポーツは苦手である。サッカーもオリンピックも興味がないので、ほとんど見たことがない。ただし、フィギュアスケートや新体操は好きで、よく見る。

そんな私でも、小さい頃は、走ると速く進むので(笑)そんな自分のチカラを感じて、走るのは嫌いではなかった。子供を見ていると、本当に子供は走るのが好きだなあ、と思う。
ところが、学校へ行くようになった時、自分は走るのが遅いのだということに、生まれて初めて気がついた。ジョイナーが、駆けっこをすると、自分が誰よりも速いことに気がついた、というエピソードのちょうど真逆である。軍隊調の教師に運悪く当たると、体育の時間は地獄と化すのであった。かくして、私のスポーツ嫌いは学齢にある間に進行し続けた。この、精神論的な体育によって、今の40代以上の人間には深刻なスポーツ嫌いが多いので、キャプテンが言う、すべての人にスポーツを、というのはなかなか大変な取り組みになる気がする。

スポーツが好きだったり、体を動かすのが好きな方が絶対に得だ、と気がついたのは子供を産んで体を壊した時だ。かくして、私の子育て大作戦の柱の一本は「子供をスポーツ好きな子にする」になったのだった。当然、「体を動かすことを楽しむ」のと、「人と自分を比べない」が大原則となる。ルサンチマン、というやつだろうか。
ところで、この「何が好きか」という好みの原型は、人格形成期、つまり五歳くらいまでに完成する、とある専門家から聞いたので、子供を運動好きな子にするために、本に書かれているいろんなことを試してみた。かなりうまくいったと思う。しかも、娘は自分と人を比較することについて、過度なストレスを感じず、当たり前のように楽しそうに努力する子である。この「五歳説」とキャプテンの言う「六歳から」がぴったり合うようで、面白いものだと思った。楽しくなけりゃスポーツじゃない、というキャプテンの言葉だけど、競技の部分が楽しみになる人と、ただの苦痛でしかない人と、きちんと区別してもらわないと、スポーツ嫌いは減らないと思う。競技の部分を取り除いたスポーツはたくさんある。

あと、小学校を利用したスポーツ施設にすべての層の人が参加してスポーツをする、ということだけど、有料のジムはすでに、子供を除いたすべての層の人が利用している。そこでは、お互い顔見知りでもなければほとんどコミュニケートしない。私は、それがとても気に入っている。

なんだか、まとまりのないことを書いてしまった。本当に苦手分野なんだな、と我ながら思った。