運動>武道と剣道のこと

NHKで、師範とケンドーコバヤシさんがMCを担当されている「明鏡止水」が、4回まで放映された模様。1回目を見た後、何が悪かったのかうちのテレビではBMが見られなくなりました。見たいのに見られないのは本当に悔しい。ただ、NHKのホームページに師範の対談が載せられているのを見て、興味深く読ませていただきました。

武道は、様々な部門、流派がある、というのは、色々なメディアで何となく知っていたのですが、想像以上でしたね。日本古来のものだけでも。

番組は日本のものに限定して取り上げていますが、格闘技オタクを名乗っている師範のファンなので、世界のそっち系の知識が積み上がって、点と点が繋がっていくのが快感です。

例えば、以前「図書館戦争」で師範と共演された福士蒼汰さんが、ジークンドーでは、一般的な空手とは逆に、利き腕を前にして構えて、短い距離から突く、という話をしていました。後日、創始者であるブルース・リーの香港の立像がTVで映し出されると、確かに利き腕の右を前にして、左足を爪先立った上に重心をかける構えをしていました。ここでひとつ繋がりました。これも、人体工学の粋だと思います。力を抜くと力が最大化する、というやつ。師範が木刀を折ることができる理屈と似ています。

武道というと精神論が一人歩きする状態は好きではないのですが、極めたものにはむしろ数学的な美しさが確かに感じられます。師範の言う「暴力ではなく、芸術へ」という言葉は深いと。

以下、自分語り。

ピラティスを続けてみて、私のキューへの反応の良さは、40年以上も前の剣道体験から発しているとインストラクターに言われました。体験したことのない人には、やっぱりできないことだと言うのです。身体で覚えたものが消えないのは本当らしいです。若い内に、武道をひとつのめり込んでやるのは、一生物の財産になる、ということでしょうか。

高校で剣道をやったのは、割と単純かつ合理的な理由からでした。それまで運動には苦手意識があって、特に興味も持たずに、取り組もうとしたこともありませんでした。ところが地域でも数少ない進学校だった母校は、時代か地域性か、女子生徒だけに課せられた隠れ校則がえぐかったのです。そのひとつ、体育は毎回過度のシゴキで、その元凶の女性体育教師に保健教員が抗議して何度も揉めたこともあるほどです。入学前にそれを知って、運動部に入って体力つけて自己防衛することに決めました。そこで、選んだのが剣道部です。建ったばかりのピカピカの柔剣道場に、初めて受け入れる女子部員というのもいいし、武道は体格や運動能力に恵まれなくても、年をとっても、稽古を続けると進歩していくんだ、というガイダンスも魅力的でした。「習い事」のノリです。

初めてしばらくして、新しい体験の高揚感も落ち着いた頃から色々なものが見えて来ました。女子部員に剣道経験者がいないので仕方がなかったのですが、地域の道場で子供の頃からやってきた男子部員にとって、男女混合の稽古での私たちはノイズ以外の何者でもなかったのだと思います。男子同士では禁じ手として封印している危険技を、始めてから日の浅い女子にガンガンかけてきて、怪我をさせても気に留めない、そんな態度に、男性にまつわる麗しい神話が完全に嘘だと悟ってしまいました。

一緒に始めた女子が懲りてどんどん退部してしまう中、「売られた喧嘩はもれなく買う」性格の獅子座生まれとあって、イビリ出されるのは何とも悔しく、強くなりたくて街の道場にも時々通うようになりました。長期休暇の土用稽古・寒稽古にもフルで参加しました。意味の分からないほどの高段者の師範たちは、高校生の男子とは違い、厳しくはあってもきちんと稽古してくれる人たちで、進歩したい気持ちを性別関係なく尊重してくれている、という信頼感を強く感じました。

努力の甲斐あってストレートで昇段した時、部活の先輩たちは、私が「受かりました!」と報告をすると「ふうん」と言いつつ「なんだ、面白くないなあ」という顔をしました。やっぱりね。それから道場の師範たちに報告とお礼に行くと、それまでの厳しい顔が一変、満面の笑顔になって「よく頑張ったな!」と口々に言ってくれました。やった。あの笑顔の記憶は一生の宝物です。

大学でやめてしまった理由は、剣道部が高校の時よりずっと、「そういう」雰囲気なのを一度の見学で悟ったからです。女子率数パーセントなのだから仕方ありません。

ずっと後になって、いっそ高校では部活を退部して町道場一本に絞るべきだった、大学生になっても町道場で継続すれば良かった、と気がついたのですが、その頃はまだ子供で融通が効かなかったので仕方ありません。その経験からも、やりたいのに諦めて、良いことはひとつもない、と確信もって言えます。それと、武道はちゃんとした師から学ぶのがベストだと思います。

今、東京オリンピックの真っ最中ですが、競うスポーツとしてではなく、「習い事」「道」としての武道がもうちょっと一般的になると嬉しく思います。特に女性が安心して通えれば、言うことありません。資本があったら、自分で作るところです。この話は、まだまだ続く予感。

 

今日はここまで

では