表現者>推しの結婚について その2

「推しの結婚」について書いた後、かつて私の推し中の推しだった山口百恵さんのことを思い出しました。女優山口百恵。現在の師範の場合と同様、映画が封切になるたび、いそいそと街の映画館にひとりで観に行きました。歌手としては、ごめんなさい。私は「歌うために生まれてきた。歌わないと死ぬ」みたいな人が好きなのです。ほんと、ごめんなさい。でも、懐かしいなあ、もう40年以上経ったんですね。

17歳のある日、高校のグラウンドで一斉清掃の草むしりをしていた時、突然直観に打たれて、「友和さんと百恵さん、あの2人結婚すると思うわ」と口走りました。何で何で?何かニュースでも出てたの?とクラスメートが騒いだのですが、自分でもなぜそう思ったのか、分かりませんでした。百恵さんは、その時まだ高校一年生の初々しい少女でしたから。まあ、映画でもドラマでもCMでもずっと共演されていたから、百恵さんを見てて「この人のこと好きなんだろうな」という確信はあったのですが。それが現実になって、21歳で引退された時には「もう、山口百恵主演映画は作られないんだな」とさすがに落ち込みました。それでも、ずっと見たいと思っていたものを見せていただけたので、心残りはありません。見たかったもの、それは結婚式の、本物の幸せに染まった百恵さんの顔でした。もう、それで充分。主演映画10本は見せてもらった幸福感に包まれました。

友和さんが、インタビュアーに「百恵さんが式で涙をこぼされた時、どう思われましたか?」と聞かれた時、「ハンカチを持ってくれば良かった、と思いました」と答えられたと聞いて、「さすが、百恵ちゃんの選んだ人は最高だ!」と妹と手を取り合って喜びました。相手の期待通りの答えをせず、かと言って嘘もつかず、角度を変えてユーモラスな返球をする名プレー。何て聡明な方なんでしょう。

本当にあの頃は、個人的にしんどい事があっても、それを補って余りある素敵なものがたくさん見られました。

私はちょうどその頃、研究室に残った時期で、以後「百恵ちゃんみたいに結婚して家庭に入りなよ」と、ニヤニヤ笑いながら何人にも言われましたっけ(笑)。「そうですね、友和さんみたいな素晴らしい男性にプロポーズされたら考えてみます」と負けずにニヤニヤ返しました。

ひとつ、三浦友和さんみたいな人は数万人に1人いるかいないかなので、私の近くにいる可能性が低い(特に私の近くはね)。

ふたつ、万が一いても私を好きになる可能性がゼロに等しい(謙遜ではないけど恥じてもいません)。

みっつ、万が一好きになってもらってこちらも好きでも、必死で大学通ったのに仕事の経験もせずに家庭に入るなんて絶対に嫌。大学入る時に死ぬまで働くって決めたんだから、専業主婦は選択肢にないし。

私がいくら百恵さんを好きでも、別々の人間だから同じ生き方を選ばなければいけない道理もありません。今ならこうすらすら言えますが、当時はまだ若かったので、なかなかにしんどいやり取りではありました。

百恵さんほどの素晴らしい活躍をされた女性が、大衆の予想しなかった絶頂期の引退を発表して結婚する、それを自分できっぱりと選び取る、というのが当時は新しくて素敵だったのに、旧弊な家長制度に巻き戻したい勢力に悪用されて、とても気の毒でした。

この頃の結婚観と今とでは、どれくらい違いがあるのでしょうか。芸能人はある意味、国民の標準を創造する立場です。それが本来の役割ではないはずですが、そうなってしまう宿命みたいなものがあります。これから結婚される方は、人気商売の枷はあるかも知れませんが、それでも「流されず自分たちらしい人生を貫く」という姿勢で臨んでいただけるとありがたいと思う次第です。

あ、そうそう。引退されて以降、週刊誌などが長年何度も記事にしていたものは一切読んでいません。いつまでも減衰しない電車の吊り広告の見出しがしつこいなあ、と苛立っていました。ご夫妻の著書3冊は読みました。以上念のため。

最近の友和さんの対談によれば、私がいまさら祈るまでもなく、幸せに暮らしていらっしゃるとのこと。これ以上、嬉しいことはありません。

今日はここまで

では

 

PS.

三浦友和さんと、私の現在のイチオシである岡田さんが個人的に夢の共演を果たした映画「陰日向に咲く」、まさかの父息子役でしたね。岡田さんはそこで、運命の人とも出会いました。元々原作は、読んであまりに面白いのでブログで紹介した本でした。その後の、まさかの主演映画化だったこともあって、とても感慨深いものがあります。そう言えば、脚本は「着飾る恋には理由があって」でも脚本を担当されている金子ありささんでした。縁というのがすごいものだと経験から言えるのが、歳をとることの醍醐味のひとつです。余談でした。