『天保十二年のシェークスピア』

それは、まだ暑さの残る、九月上旬の朝のことだった。仕事場の建築現場に向かうため、いつものように東横線に乗っていたら、ドアの上についている液晶の画面に、突然蜷川さんが映った。音声がない映像なのに、いきなり「来い!」と言われたような気がして、つい「はい」なんて答えてしまった。書店で、本から「読め」と言われて買ったことはあるけれど、演劇でははじめてだ。
素直に返事して、雑誌で公演スケジュールを調べてはみたものの、仕事も忙しいし、チケ取りは性格的に苦手だし、いつものように「あ、もう終わっちゃった」なんて通り過ぎるのだと思っていた。だけど、今日、偶然表参道で用事があって、終わったところで四時だったし、渋谷駅前で大きなポスターと目があっちゃったし、土曜日だからどうせないだろうと思っていた当日券はしっかりあるし、見てきました、『天保十二年のシェークスピア』。
まったく予備知識なく行ったら、困ってしまうほど猥雑だった。だけど、四時間という長さを感じないほど楽しかった。
四大悲劇と『ロミオとジュリエット』、『ジュリアス・シーザー』の台詞くらいまでの引用はわかったけれど、あとは全然。だけど、ハムレットの『二面性』がどうのこうの、という台詞は最高。私もあのハムレットの台詞は好きだ。深淵な哲学的な言葉、と解釈する道もあるかも知れないけど、私はハムレットの「幼さ」「バカさ加減」と感じていたから、それからたたみかけるように続く、「○○か、否か、それが問題だ」の連続が面白かった。私が、今ハムレットのその台詞に最も惹かれ、なおかつそう解釈するのは、自分が若かった時に陥っていた、その「白黒つける」物の考え方に、「まずかったなぁ」という苦い思いを抱いている、告白みたいなものだな。それから、その名台詞「To be,or not to be.That is a question,」の、様々な訳を、藤原竜也くんがやってみせてくれて、その楽しいこと。藤原くんは、以前から「いい」って評判だったけど、本当にいいわ。
あと三世次が繰り返し言う「非の打ち所のない人です」は、「ジュリアス・シーザー」の「ブルータスは公明正大の士である」が元ネタだとおもうけれど、だんだん聞いている人たちが不愉快になって、褒められている対象が嫌いになっていくのがリアルで面白かった。言葉の魔法使いを目指すのであれば、あれくらいの毒の盛り方は、必須科目としてマスターしないと。つまりは、言葉を武器にするってことは、人間のこころがどういう風にできているか、熟知していないといけないってことだ。
『リチャード三世』がモデルの三世次は、たぶん、登場人物としては一番感情移入できる。すごく絶望的なものを抱えて、その上でなおかつ欲望に忠実に生きようなんて思ったら、あんな風になっていくのだな。コメディではあったけど。唐沢寿明さんが、また迫力で。ついやっぱり『白い巨塔』の財前教授を連想してしまった。ピカレスクロマン。
ところで、人間の欲望を描く、なんて言葉をどこかで見かけた。確かに、欲望がこれでもかばかり渦巻いていて、特に女性たちの色欲が私にはけっこう地雷であった(笑)。いや、女優さんてすごいわ。いや、私の場合は、男性の色欲がどこかで「当たり前」で仕方がないと思っていて、女性のはそうではないと思っている、ってことなんだろう。死ぬまでこんなんかな、わたし。
まだいろいろ書きたいんだけど、このあたりで。