『映画は国を変えますか』05/07/31 李鳳宇さん

-7/31放送
李鳳宇さん
テーマ:「映画は国を変えますか」
岡田くんにとって、ひょっとして今までで一番興味があった分野ではないだろうか。ずいぶんお話が盛り上がっていたようで、つい身を乗り出して聞いている岡田くんと、それにつられて熱く語る李さんの姿をイメージしながら、ラジオを聴いていた。
さて、某所で『河原乞食』という言葉について書こうと思っていたけれど、もうこの対談で、何も書く必要がないと思った。音楽・演劇・美術・文学……こうした『創作』に携わる人々に対する、日本の根強い偏見を訴えたくて、それを一言で言い表したキーワードとして、『河原乞食』という言葉について語ろうと思っていた。日本において、アートの才能を持っている者が、どれだけの苦悩を強いられて、人々の蔑視に耐えて、ものづくりをしてきたか、という話なのである。「世界のクロサワ」をはじめ、外国で認められて、はじめて国内で認められる。このパターンもずいぶん長い。しかし、映画を国策として支えてこなかった唯一の国としての日本、という今回の話で、すべてそれは表現できてしまう。「そういうことするの、あなただけだよ」という言われ方に日本人は特に弱いから、有名人のおふたりの今回の話は、効果が十分期待できる。
これが例えば、医者の場合。医者ひとり作るには莫大なお金がかかるけれど、真に優秀な医者を排出して日本の医療のレベルをあげるために、国立大学では一人当たり、学生が払う学資より高額の補助金がなされている。これが、個々人の努力だけで医者になっていた時代を思えば、今の医療の発達などはまさに天国だ。「国が若者に投資する」のが、社会が将来どのようなカタチになっていくか決めることでもある端的な例だ。成果があらわれるのは、投資を始めてからだいたい20~30年後になるだろう。そして、日本という国は、体質的に、芸術のための投資を人に対してしない国である。やっと国立大学に映画学科ができて、あと10年くらいで何とかなるんではないかというお話だった。でも、そう考えてみると、何の支援もない状態で、日本を世界トップのレベルに押し上げてきたゲームやアニメやコミック・フィギュア…などの分野の人たちの偉大さというのは……。はみだし者に対して冷たい日本で、先駆的な偉大なことをするのは、常にはみだし者だというのも興味深い。だけど、それを掘り下げて、良い物をずっと作り続けていく為には、やっぱり教育が必要だ。国としていまひとつ熱心になれない理由があるのだとしたら、それは日本の未来のためにも何とかしないといけないと思う。
そのひとつとして、総じて芸術は「おんなこども」の好む物、という偏見が未だにあるからだと思っていたけれど……男尊女卑ということであれば、日本よりずっとひどいと感じる韓国で、学校を建てて人を育てて、すばらしい映画が作られるのだから、それは違うのかもしれない。知り合いの若い建築家がある時、「女性は文化があるけど、男はないから、男は嫌いなんです」と言う。彼の知人で建築の傍ら、絵本を描いている人がいて、彼はささやかな支援のつもりで、その絵本を人に見せて歩いていた。私も見せてもらって、画家の安野さんの画風に似ている、建築家であればこそ持てる夢のある本だ、とコメントするや、彼が滔々と語るのである。絵本を見た女性たちはみんな「キャラクターがかわいい」とか、「色がきれい」とか、「お話のここが面白い」とか、様々の感想を言うのだけど、男性だと言うことはたったひとつ「絵本で食えるのか」だそうだ。見ても、それが良いとか好きだとか、そういう感想は日本の男性には持てない。というか、持ってはいけないという刷り込みがされているような気がする、と。今回のお話と通じるものを感じる。だけど、理由がわからない。

でも、岡田くんが言う通り、岡田くんたちがそれを変えていく世代になるんだと思う。李さんが「それをするのは岡田准一くんです」と言ったのは、社交辞令だとは思わない。日本ではタブーになっているものが多くて映画にしにくい、というお話もあった。自殺について映画ができない、とか、そんな類いのこと。だけど、岡田くんが以前言っていたように、「心の闇を表に出す人は好きじゃない」人が日本人の大半を占めている以上、仕方がない。おかげで、子供の虐待など大昔からあったものが、ここ十年でクローズアップされるや「最近の母親は」という話になってしまう。実の親による虐待の映画は、90年代以前作られなかった。一番最初に声をあげた人たちは、本当に勇気があったと思う。老い先短い人たちに罪を問うのも気の毒だけど、さも自分達の手が汚れていないかのように「若い者は」論で責めてくるのを真に受けるのは、社会への害が大き過ぎる。今の若い子たちが「何を考えているかわからない」なんて言っている大人たちは、まさに自分達が若い頃に言われたのと同じことを言っているに過ぎない。私たち40代後半は、「しらけ世代」とずーっと言われた。少年の犯罪が過去最悪だったのは、今の60代前半の人たちの世代で、発生件数が半端ではなく、今の子たちなどむしろ「大人しい」くらいのものだ。だから、闇を隠したがる日本では、どんな闇でも映画として取り上げるのには、特定のカテゴリーに対する理不尽なレッテル張りになりかねないという意味でメリット・デメリット両方あるだろうな、と思う。だけど、「そういう日本の体質」を映画にする意味は、あると思う。
なんだか、熱く語り過ぎた。ここらでやめておく。私がどうして役者としての岡田くんにここまで執着するか、自分でもやっとわかった気がする。