『ファンタジーって何ですか?』 06./06/25 金原瑞人さん

ずいぶん長いこと、このテーマを待っていた気がする。岡田くんが『ゲド戦記』のアレン王子の声を演じるから、その流れとしてこのテーマがあがったのだと思うけれど、私が感じていたこととあまりにシンクロ率が高いお話がたくさん聞けて、とても幸福な一時間であった。しかも、映画『ネバーエンディング・ストリー』のテーマ曲を一曲目に流してくれるなんて、最高。この映画のビデオ、何度繰り返し見たことだろう。もちろん、原作の壮大さには及ばないけれど、それでも魅力的な物語ではあった。異世界ファンタジーの駄目パターンも、この時代だったら仕方が無い、と思う。ファンタジーの魅力がぎっしり詰まっている最高傑作だ、と思うのだけど、同じくミヒャエル・エンデ作の『モモ』と比べると理屈っぽくて嫌だと言う人もいて、ファンタジーは人によって好き嫌いが特に強い、という気がする。ちなみに、私は宗教的道徳の匂いがすると、もうだめ。

そんなわけで、ファンタジーが大好き、と言っている割には、三大ファンタジーは読んでなかったりする。『ゲド戦記』なら読んでもいいかな、と思い始めている。

金原さんが、日本のゲーム界での『ファイナル・ファンタジー』や『ドラゴン・クエスト』は、オリジナルではなくて発祥がアメリカだと指摘されたのは、その通りだ。ダンジョンは『ウィザードリー』が原型だし、マップ形式のロールプレイングゲームもタクティクス形式のゲームも、原型となるゲームがある。だけど、それを総合して配分して、壮大な物語の中に組み込んだ、というところが日本のゲームの画期的なところだと思う。ゲームを、『世界作り』からはじめること自体、日本の専売特許ではないのかも知れないけれど、その世界の作り方に独特の良さがある気がする。例えば、『ドラゴン・クエスト』をやってみて、自分のスキルを挙げるために、『少し手ごわい相手』との戦闘を絶えず繰り返していく、というテクニックを学ぶ。無茶な冒険をると、すぐにゲームオーバーになってしまうし、弱腰になって楽な戦闘ばかりしていると、なかなか経験値が上がらないので効率が悪いから。この「ほどほど」のところを狙って進めていくうちに、「これって人生に似てる」なんて思う。これだけではなくて、人生や人間についての、いろいろな発見がある。簡単な図形パズルをしていても、発見はあるものだけど、このファンタジーを下敷きにしたゲームには、人間の根本についての発見があるところが刺激的だ。個人的には、これがファンタジーの一番の特徴だという気がする。なぜそうなのかは、そのメカニズムがよくわからないのだけど。

先生は二元論的なファンタジーと、そうではないファンタジーについて、興味深い話を聞かせてくださった。子供が好きな二元論では物足りなくなった、「大人のファンタジー」と。そういう見方でいくと、人類は、二元論という幼年期を脱して、価値の多面化した知性へと成熟する準備を進めている、なんてことも言えるのではないかと思う。

それにしても今回、『ナルニア国物語』や『ゲド戦記』に絡めて私がいろいろ書いていたことと、ちょっとシンクロ率が良すぎる気がする。でも、それは、私が岡田くんに強く引かれたことと、クリエーターの方たちが岡田くんを抜擢するベースの理由が非常に近いから起こる現象でもある。

物語が作られる場合、それがまったくの無から生まれることはないので、サンプリング当て、というのがかなり遊びとして楽しい。もちろん、当たっていたり、はずれていたりするだろうけれど。でも、そんな風にすべては丸く、想像力で繋がっていく、ということに気がつくと、岡田くんが言うとおり、その面白さにわくわくする。逆に言えば、自分が接した物事に、どれだけ想像を膨らますことができるか、という点が、実に表現すること、の意義だとも思う。『花よりもなほ』や『ゲド戦記』については、監督がその想像の源になったものをいくつか示していることで、物語世界が豊かさを増している。古代文明の豊かさは土地、現代文明の豊かさはエネルギーを基礎にしていた。新世界の基礎は、想像力かも知れない。