『頭がいいってどういうこと?~受験編』 05/07/24 樋口裕一さん

-7/24放送
樋口裕一さん
テーマ:「頭がいいってどういうこと?~受験編」
岡田くんにとって、頭がいいということはどういうことだろう。ファンとしては、まずはそこを知りたいところだけど、何かイメージがあって、何とかそれに近付きたいと渇望していることだけはわかった。
まず、樋口先生の定義では、頭がいいというのは、受信し、考え、発信する、そのみっつの能力があること、ということだった。今、茂木先生の『脳と創造性』を読んでいるところで、その定義について、「それって、コンピューターの基本的な能力ですね」とぴんと来た。コンピューターは、人間の思考をモデルにした、と言われているけれど、新しい物を生み出す能力がないので、それは結局、人間の頭の働きのほんの一部なんだということだ。その「創造」の部分にもっと光を当てられるのかな、と期待したけれど、あえて「基本」の能力について押さえたというところが、現場の教育者の方らしい、きっちりしたところだと思った。今回は受験編だということもある。
形を覚えると自由な発想ができない……岡田くんは、ひょっとして本気で今までそう思ってたのだろうか。そう思いかけたが、文脈からしていくと、それはない気もする。それは、古来から綿々と続いている「形にはまった」偏見のパターンのひとつだと思う。岡田くんがこれを言うのは、その「よくある疑問」のパターンを広げてみせたのだと解釈した。このお話が出た時に、思わず膝を打ってしまった。正鵠を射ていると思う。
「型」ということは、基本という以外に、「縛り」を設定するというのでも、けっこう物を作るのに有効なのを体感した。人間の創造性というのは、案外制約にがんじがらめになった上で、なおもそれを越える物を作ろうという、圧力釜みたいなパワーが生むものではないだろうか。最近、何となくそんな気がしている。それは、人間の仕組みみたいなものと深い関わりがあるように思う。何もできない内から「自由に」というのは、きっとうまくいかないだろう、とは私も思う。あー、それでも未熟者同士が縛り合う制約は、実害が多いというのはある。岡田くんが問題を感じるポイントはここにあるのかも知れない。
ところで、論理的思考だけど、人間の脳というのはむしろ論理的思考が苦手なようにできている、なんて記述を最近読んで「やっぱりそうだったんだー」と思った。もちろん、苦手にできているから、訓練もするわけだけど。それと、国語の読解テストは、常にクラストップを誇る私であった。出題者の意図が透けて見える、因果な体質をしていたからだ。でも、それは本来的な意味の読解力とは違うだろう。受験編についても、突き詰めればもうちょっと話が深まるかも知れないな、という感じを持った。